【木造城】
木造城(こづくりじょう)は木造顕俊によって
築かれた城です。
木造顕俊は北畠顕能の次男で、
木造城を築くと木造氏を
名乗るようになりました。
木造城は伊勢国司北畠氏領域の
最北端に位置する木造氏の居城です。
北畠氏との関係は良好なものではなく、
木造氏は織田信長に従って
北畠氏攻略の先駆けとなったのでした。
永禄12年(1569年)の
織田信長による伊勢侵攻の際には
織田氏に従い、南伊勢侵攻の案内役を務め、
北畠氏の養子になった織田信長の次男である
織田信雄に仕えました。
現在、城址は水田の中に
土塁がわずかに残る程度ですが、
案内板と石碑が建てられています。
【縄張形態】
平城
【標高(比高)】
6.1m
【築城主】
木造顕俊
【築城年】
貞治5年/正平21年(1366年)
【主な城主】
木造氏
【遺構】
土塁
【指定文化財】
市史跡
【交通アクセス】
(電車)
JR東海紀勢本線「高茶屋」駅
または近鉄道名古屋線「桃園」駅下車。
徒歩約40分
近鉄名古屋線・久居駅から
バスに乗り「高茶屋団地前」バス停下車、徒歩約10分
※バス運行については最新の情報をご確認下さい。
(車)
伊勢自動車道「久居」IC⇒国道165号線
【所在地】
〒514-1115 三重県津市木造町1326
専用の駐車場はありません。
大河内城~大河内御所と呼ばれた北畠三御所の中でも代々の筆頭格で、 宗家が絶えた際には継ぐ立場でした。
三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。
織田信雄~織田信長の次男、散々な目に遭うも長生きしその血筋は明治維新まで受け継がれました。
笠木館~笠木御所とも呼ばれ北畠氏の一門である坂内氏の居館、県内屈指の中世の居館跡となります。
岩出城~北畠氏の一族である田丸直昌が築城、後に蒲生氏郷に従い、会津へ付き従いました。
田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。
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