【下原城】
下原城は金仙寺境内の北側に位置し、
荒川とその支流による段丘の北端に
築かれています。
荒川に面した崖上にあり
三角形の曲輪を備えています。
土塁と空堀は出桝形を形成しています。
北側は段丘の自然の要害で
南側に堀と土塁を設けることによって
曲輪を作っていました。
曲輪の削平はとても綺麗なものでした。
荒川側は一段低い曲輪となり
竪土塁のようになっているとのことです。
土塁線は中央が南へ張り出して
横矢掛けになっており、
その脇に開口部があるとのことです。
築城者は、秩父風土記では
大久保主馬の名を伝え、
金仙寺の寺伝では
南北朝時代に
橋久保大膳が
下原城に拠ったと伝えているとのことです。
いずれも人物の事績や詳細は不明です。
荒川沿いの断崖に築かれた縄張りは
規模の大小に大きな違いはありますが、
鉢形城とも基本的な構造は
同じであることから、
戦国時代に小田原北条氏が
秩父地方を支配していた時代に
鉢形城の軍役を務めた
小土豪の居城ではないかとのことです。
金仙寺の建物には、北条氏の家紋と同じものが
いくつかありました。
現在の位置は寺の裏にある
竹藪が城跡となっています。
この城跡は、堀と土塁が残っています。
竹藪を行くのが大変です。
更に個人所有の畑などもあります。
また、端の方は荒川の氾濫などで
削れて崩れており、
危険なので注意が必要です。
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【築城者】
橋久保大膳
【築城年】
南北朝時代
【遺構】
土塁、曲輪、堀
【交通アクセス】
西武秩父線「西武秩父」駅下車 徒歩20分程度。
秩父鉄道「尾花畑」駅下車 徒歩15分程度。
【駐車場】
金仙寺の参拝者用の駐車場があります。
【金仙寺】
金仙寺(こんせんじ)。
臨済宗建長寺派寺院の金仙寺は、
大聖山と号し、秩父七福神の布袋尊です。
金仙寺は、鎌倉建長寺を
開山した大覚禅師蘭渓道隆大和尚を
開山に仰いで、
中村左衛門丹次公行
(永昌院殿茂林常繁大居士)が開基となり、
延文3年(1358年)に開創、
末寺9ヶ寺を擁していたとのことです。
当寺には、明治17年に起こった
秩父事件の秩父困民党総理
田代栄助の墓があります。
【秩父七福神・布袋】
秩父七福神めぐりのひとつです。
ふくよかな体の布袋は
広い度量や円満な人格、
また富貴繁栄をつかさどるものと
考えられ、所持品である袋は
「堪忍袋」とも
見なされるようになっています。
【金仙寺 四天王像】
四天王らしい激しい誇張した
動きの表現がみられるとのことです。
量感に満ち、堂々とした作風がみられるとのこと。
造像の時期は元禄8年(1695年)とあり、
寺焼失前の山門の楼上に
伽藍守護の神として
安置したことが
胎内の願文によって判明しました。
作者は江戸の伴野氏金四郎光重です。
【金仙寺の杉】
金仙寺参道入口にスギの巨木が散在しています。
もっとも大きいものは、
幹まわり4m、樹高20m、
樹齢400年といわれています。
このほか幹まわり2.2mのもの、2.3m、
3.5mを有するものがあります。
【金仙寺・所在地】
〒369-1871 埼玉県秩父市下影森6650
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