【守山城】
守山城(もりやまじょう)は、
福島県郡山市田村町守山にあった日本の城(平山城)です。
郡山市指定史跡です。
【城郭構造】
平山城
【天守構造】
なし
【築城主】
田村庄司氏
【築城年】
平安時代
【廃城年】
元和元年(1615年)
【遺構】
土塁、石垣
【指定文化財】
郡山市指定史跡
【守山城について】
坂上田村麻呂が蝦夷追討の際に
この地に城を築いたと伝えられています。
その後、坂上田村麻呂の子孫である
田村庄司氏が本拠地として
南北朝時代まで
この地方を支配していたとのことです。
関東公方(鎌倉公方・古河公方)
の攻撃による没落後は、
三春田村氏が三春城に居城を移すまで
本城となりました。
その後、三春田村氏は、
伊達氏の傘下に入ります。
天正16年(1588年)、
伊達政宗は、白石宗実、
片倉景綱らを守山城へ配して、
蘆名氏を摺上原の戦いで破り、
南奥羽をほぼ制圧しました。
豊臣秀吉の奥州仕置により、
伊達氏がこの地を去ると、
代わって蒲生氏郷の支配下に入ります。
三春城から田丸直昌が配され
改修が行われました。
蒲生氏郷の没後に豊臣秀吉の命で
蒲生氏の支城の数が制約され、
田村地方は三春城が廃されて
守山城が残されることになりました。
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慶長3年(1598年)に
蒲生氏が宇都宮城へ移った後は、
上杉景勝の支配下に入り、
須田長義・本庄繁長・竹俣利綱と
相次いで城代が変わりました。
慶長6年(1601年)に
蒲生氏が復帰すると
蒲生郷成が城代になりましたが、
慶長14年(1609年)までに
三春城を再興して同城に移りました。
元和元年(1615年)、
一国一城令により廃城となりました。
現在
2000年(平成12年)7月、
蒲生氏時代の野面積みの石垣などが発見されました。
2016年(平成28年)12月、
郡山市指定史跡に指定されました。
本丸跡は現在、武道と縁の深い八幡宮の一つ、
城山八幡宮が建てられ、
境内には力石や相撲の土俵などがあります。
隣接する郡山市立守山小学校グラウンド脇の
道路を挟んだ南側の敷地付近が二の丸跡で、
蒲生氏時代の野面積みの石垣が残っています。
また、付近では礎石や、石組溝、
カマド、井戸等の遺構が発見されています。
【所在地】
福島県郡山市田村町守山三の丸
【交通アクセス】
<電車>
JR東日本水郡線「磐城守山」駅から徒歩13分程度。
石井工務店本社付近に石垣、
奥に本丸跡の神社があります。
なお工務店のあるエリアは
住所表記が三の丸です。
<車>
東北自動車道郡山南ICまたは
磐越自動車道郡山東ICから車で20分程度。
【駐車場】
城址入口は守山小学校の南側道路です。
(道路は狭いです)
城山八幡宮鳥居前の広大な二の丸に駐車できます。
三春城(続100名城)~仙道地域の拠点として戦国時代に田村氏が築城し、江戸時代は三春藩となりました。
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