【覚恕法親王】
覚恕法親王(かくじょほうしんのう、
大永元年(1521年)⇒
天正2年1月3日(1574年1月25日))は、
戦国時代の天台宗の僧。
天台座主。
父は後奈良天皇で、第二皇子です。
母は壬生雅久の娘の伊予局。
【生涯】
大永(たいえい)元年12月18日生まれ。
兄に方仁親王(正親町天皇)がいたのと、
母親の伊予局(壬生雅久の娘)の
身分が低かったことから
大永5年(1525年)、
延暦寺曼殊院門跡において得度し、
天文6年(1537年)には
曼殊院門跡を相続しました。
弘治3年(1557年)、
異母兄の正親町天皇が即位すると
准三宮の宣下をうけて金蓮院准后と称します。
元亀元年(1570年)、
戦国時代の混沌とした中で
166世天台座主となりました。
その祝いとして武田信玄より
「猿図」(東京国立博物館蔵、重要文化財)
を贈られました。
「猿図」に付属する武田信玄の書状からわかるとのことです。
スポンサーリンク
166世天台座主となった年の
翌年の元亀2年(1571年)、
織田信長による比叡山焼討ちの際には
比叡山にいなかったために
難を逃れましたが、
比叡山抵抗の責任を追及されたため、
甲斐の武田信玄を頼り亡命します。
この後、出家した武田信玄が
権僧正の僧位を得るために
覚恕法親王は尽力しています。
その後も京に戻ることはなく、
天正2年(1574年)に没しました。
享年は54歳です。
法号は金蓮院です。
墓所は京都の曼殊院宮墓地にあります。
覚恕法親王は和歌を三条西公条・実枝父子に学び、
連歌等も好み、
常に禁中の御会等に出席していたとのことです。
また尊鎮流の書も能くしたとのことです。
著書に「覚恕百首」があります。
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では
春風亭小朝(しゅんぷうてい こあさ)さんが演じられます。
正親町天皇とは?どん底の朝廷を立て直し、天皇家の権威を復活させた天皇。本能寺の変の関与説も。
明智光秀・織田家臣初の築城許可の功績~比叡山延暦寺焼き討ち~
石山本願寺~11年にも及んだ石山合戦~織田信長VS本願寺顕如及び浄土真宗
朝倉義景の墓~義景清水~孤独を纏う朝倉家最後の当主・戦よりも芸事と内政が得意
この記事へのコメントはありません。