城跡

千石墻の砦~小幡信真の配下であった浅香播磨守重明が秩父地方の攻略時に築いた砦とのことです。

千石墻の砦(群馬県上野村)



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【千石墻の砦】

千石墻の砦は、国民宿舎ヴィラせせらぎの
北東800mほどの所にある、
比高140mほどの山稜上に築かれていました。
神流川が南東側に
湾曲するところに
半島状に突き出した地形で、
周囲に岩肌がむき出しとなっている
要害地形です。

上野国群村誌9」によりますと
小幡信真(おばた のぶざね)とともに
武田信玄に従い、
小田原北条氏と戦った
上野村の浅香播磨守重明が
この地に砦を築き山中衆を率いて
播磨峠(野栗峠)に陣を張って
天正9年(1581年)に
武州三山村(現:埼玉県小鹿野町)で
戦ったとのことです。

天正6年(1578年)の御館の乱により
武田氏と小田原北条氏が抗争関係になると、
小幡信真は北条領である
秩父地方の日尾城(現・小鹿野町)攻略を目指した
とのことなので、この攻略時に砦を築いたのでしょうか。

千石墻の砦(広瀬の砦) 上野村

【小幡信真】
小幡信真は上野小幡氏です。
上野小幡氏は国峯城を中心とし
上野国甘楽郡一帯に勢力を持つ国衆で、
関東管領の山内上杉家に仕えていました。
上杉憲政を関東管領に擁立するなど、
長野氏と並ぶ有力な存在でしたが、
後に上杉憲政と対立すると
離反して武田晴信(信玄)に仕えました。

元亀3年(1572年)12月の
三方ヶ原の戦いでは先手を務め、
弟である小幡昌定が戦死した他に
小幡信実(信真)自身も負傷しています。
天正3年(1575年)の
長篠の戦いにも参陣しています。
この際に小幡信真が
戦死したという伝承があり、
実際に当時小幡信真が戦死したという
風聞もあったそうです。
実際には戦後存命しており、
武田勝頼から信真・昌高兄弟の
負傷を案じる書状が確認されているとのことです。
(「歴代古案」)

長篠・設楽原合戦屏風絵図

武田氏滅亡後は
上野の有力国衆の中では
最も早く織田氏に仕え、
織田信長本能寺の変で死去すると
小田原北条氏の配下の他国衆として
その臣下となりました。
天正18年(1590年)の
小田原征伐では国峯城に籠城し、
4月下旬頃には落城したとみられます。
その後、武田氏時代を通じて親交があり、
小田原征伐で攻城側でもあった
真田昌幸を頼り、
信濃塩田郷で余生を送ったとのことです。
天正20年(1592年)に死去し、
享年は52歳でした。




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【登城口の遊歩道は閉鎖】
ヴィラせせらぎの駐車場の
北東角の辺りから
川沿いに上る遊歩道がありますが、
2021年の段階では
厳重に閉鎖されているとのことです。
遊歩道は確かに素晴らしい景観ですが、
放置されており荒れているとのことです。
遊歩道が途切れるあたりから、
崖崩れが数か所あり、
かなり危険であるそうです。
更に豪快な崖崩れもあり、
命の危険さえあるとのこと。
ヴィラせせらぎの遊歩道入口に
案内板があります。
その案内板にはかの有名な
宮坂氏の描いた鳥瞰図が
掲載されています。
ちなみに城址までは
健脚な男性の足で30分程だそうです。

千石墻の砦

かつて登城した方の体験談を見ますと
遺構として櫓台と石垣が見えるそうです。

【所在地】
〒370-1611 群馬県多野郡上野村新羽1150
(グーグルマップ上の所在地)

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