【佐貫城】
佐貫城(さぬきじょう)は、
千葉県富津市佐貫にあった日本の城です。
江戸時代には佐貫藩の藩庁が置かれていました。
【別名】
亀城
【城郭構造】
連郭式平山城
【天守構造】
なし
【築城主】
武田義広
【築城年】
応仁年間
【主な改修者】
里見義弘、
阿部正鎮
【主な城主】
真里谷氏、里見義弘、足利義氏、
加藤氏、内藤氏、松平忠重、
柳沢吉保、阿部氏
【廃城年】
明治4年(1871年)
【遺構】
空堀、石垣、土塁、井戸
佐貫城は、
真里谷氏(真里谷武田氏)によって
築かれた平山城です。
古文書から永正年間から
天文6年(1537年)にかけて
真里谷全芳(武田信秋)が城主を務め、
加藤氏が城代を務めたと推測されています。
加藤氏は「鎌倉大草紙」に登場する
武田信長の家臣である
加藤入道梵玄の末裔と推定され、
真里谷氏の没落後も
佐貫の有力者として
時々の支配者に従ったとのことです。
天文6年(1537年)以降のある時期に
安房里見氏の支配下に入ると、
里見義弘が拠り、久留里城と共に
真里谷氏及び小田原北条氏への最前線として
重要な役割を果たしたのでした。
ただし、近年の古文書研究により、
小田原北条氏が同城を占拠して
城代を置いていた時期も
存在していたことが判明しています。
里見氏安房移封以降も
城郭として維持され、
17世紀末から18世紀初頭の
一時期を除き、明治維新まで維持されました。
【佐貫城の歴史】
鎌倉大草紙に長尾三家の一つである
総州長尾家が見え、
この総州長尾家が佐貫に拠ったとされています。
佐貫城もこの長尾氏により
築かれたとする説もあります。
定説では応仁年間、
武田義広により築城されたとあります。
佐貫城跡は室町中期から江戸末期まで
城主が替わりながら存続した城跡です。
初期の城主は定かではありませんが、
真里谷武田氏が居城したと見られ、
その後天文年間(1532~1554年)には、
武田氏との争いに勝った里見氏の所有となります。
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永禄10年(1567年)の三舟山合戦では
里見義弘がここを本拠地として北条氏に勝利し、
その子である梅王丸が居城しました。
けれども徳川家康の関東入部に伴って、
天正18年(1590年)、
家臣の内藤家長が城主となりました。
その後、江戸時代には桜井松平氏、
能見松平氏、柳沢氏、幕府代官と城主が交代し、
江戸中期の宝永7年(1710年)に
阿部氏が城主となって、廃藩置県まで続きました。
現在は花木公園として、
佐貫まちづくりいしずえ研究会が
文化財の保護・整備を行っています。
【佐貫城の構造】
佐貫の地は今の鶴峯八幡神社付近と
推定される「八幡浦」と称する港町があり、
江戸内海を挟んで
三浦半島と直接向かい合っていました。
更に地形の関係で内房方面を南北を貫く
複数の街道が(沿岸ルート・内陸ルートを問わず)
必ず合流する場所であると共に、
佐貫から神野寺・清澄寺・誕生寺を経由して
外房方面に至る山道が走っており、
古くから参詣者が通っていました。
そのため、早くから市場や
宿場町が形成されて
経済・交通の中心地となっていました。
甲斐国から鎌倉(三浦半島)を経て
上総に進出した武田氏によって
同地に城が築かれて、
後に里見・北条両氏の攻防の舞台に
なったと考えられています。
北上川と染川により開析された
二つの谷に挟まれた丘陵端にあります。
城域の東には陣場、陣場谷と呼ばれる
谷が深く入り込んでおり、
西側の城域と背後の丘陵を分断しています。
また、城域内部にも
黒部谷を始めとする谷が入り込み、
主郭部の位置する尾根他幾つかを除き
多くは痩せ尾根となっています。
郭は城山の本丸から南西に向けて
二の丸及び三の丸が配置されており、
佐貫城の主郭部をなしていまする。
本丸の背後には更に、産所谷から
上宿に掛けて尾根筋に郭が連なり、
黒部谷を隔てて城域南東端の北新宿付近にも
郭が設けられています。
三の丸から本丸に至る主郭部には、
本丸虎口を始めとして、
櫓台、虎口、空堀、土塁等が
効果的に配置されており、
里見氏移封以降改修されたものと
考えられていますが、
黒部谷及び上宿を取り巻く郭群には、
尾根上に削り残し
土塁を伴う削平地を設ける、
里見氏流築城術の特徴が見られるとのことです。
【遺構】
山上の遺構は良く残り、
空堀、石垣、土塁、井戸等が
往時の姿を留めています。
空堀の幾つかには
里見氏流築城術の特徴を示す
岩盤を削った切岸が見られ、
また、三の丸櫓台を始めとして、
上総国には珍しい石積遺構が残るのも
本城の特徴であるとのことです。
【所在地】
〒293-0058 千葉県富津市佐貫582
【駐車場】
広めの駐車スペースあり。
【交通アクセス】
(電車)
JR内房線「佐貫町」駅から徒歩30分程度。
(車)
館山自動車道「君津」ICから20分程度。
【トイレ】
無いようです。
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