日運(にちうん)は、戦国時代の僧侶で、美濃国守護代・斎藤利藤の末子として1484年に生まれました。
幼名は斎藤毘沙童、別名は南陽坊、日護坊とも言い、兄に長井利隆がいます。
父が石丸利光らと蜂起し船田城の戦いとなりますが、1495年に没した際、兄・長井利隆と毘沙童は、父と親しかった船田城主・石丸利光が引き取ったようです。
しかし、体制を保てなくなった石丸利光らは六角氏を頼って逃れました。
1496年、石丸利光が城田寺城に戻って反撃にでましたが、斎藤利国(斎藤妙純)に攻められて降伏・自刃しました。
この時、13歳だった毘沙童は助命されて、僧侶になったと言う事になります。
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のち、京の妙覚寺にて日善上人から修行しますが、このとき、2歳年上の兄弟子には法蓮房(斎藤道三の父)が同僚だったとされます。
教養が高かったため高僧になると、1516年、長井利隆(長井豊後守利隆)の招きを受けて、美濃に戻り稲葉山城下にある常在寺の住職となって「日運」と改名しました。
常在寺は妙覚寺の末寺です。
そして、若き松波庄五郎は、日運を頼って美濃にやってきたともされ、やがて長井家を掌握して行ったと推測されます。
日運の没年は不詳です。
なお、岐阜・常在寺は、斎藤道三など斎藤家の菩提寺で、斎藤道三が長良川の戦いにて討死した際の遺言で、4男・日饒、5男・日覚は、仏門に入り、それぞれ常在寺第5世、第6世となっています。
→斎藤道三の供養塔 岐阜・常在寺
→斎藤道三(斎藤利政) 権謀術数を駆使し大名になった美濃の蝮
→小見の方 (おみのかた) 斎藤道三の正室になった明智家の女性
→道三塚 長良川の北側にある斎藤道三の墓
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