城跡

須原城~木曽氏が築城し須原宿として栄え馬籠宿から洗馬宿までの街道を整備しました。

須原城(木曽)



スポンサーリンク



【須原城】 

木曽氏は福島に移る以前は
須原に本拠を置いていました。
須原宿の都市的な始まりは
木曽路の宿場町の中では早く、
室町時代中期には
現在ある定勝寺境内の背後にある
愛宕山山頂に須原城が築かれ、
その城下町として発展しました。
須原城は室町時代に木曽氏が
本城として築かれた山城です。
戦国時代に入って
木曽義在が上之段城(長野県木曽郡木曽町)に
遷るまで木曽氏の本拠地でした。
木曽氏は木曽義仲の後裔を自称する氏族で、
木曽義在はその17代目で
領内の整備に尽力し、
天文2年(1533年)には
馬籠宿(岐阜県中津川市)から
洗馬宿(長野県塩尻市)までの
街道(現在の木曽路の前身)を整備し、
須原宿がその中心になったと思われます。

築城年代は相当古くまで遡り、
一説には室町時代と
考えられていますが、
はっきりしたことはわかってはいません。
旧須原宿のはずれにある定勝寺は
木曽義在の館跡で、
その背後に位置するのが須原城となります。
館の詰城ともされていた可能性もあるとのことです。
木曽義在は永正6年(1509年)、
福島に上之段城を築城し、
その頃は須原と福島を交互に
本拠としていたとのことです。
木曽義在の子である
木曽義康の代になって
福島城を築き福島を本拠と定め
木曽義昌に至っています。

【形態】
山城

【標高(比高)】
683m(140m)

【遺構】
土塁,郭,堀

【所在地】
木曽郡大桑村須原愛宕山

木曽小丸山城~応永年間(1394年~1428年)に築かれた山城です。

上之段城~小丸山城に代わる居城として木曽義在によって築城されました。

木曽福島城~天文年間に木曽義康が築城、後に小笠原氏に攻め込まれました。

徳音寺にある木曽(源)義仲公之墓と小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓、義仲館と巴淵

興禅寺にある木曽義仲公之墓、木曾義康・木曽義昌父子、山村氏歴代の墓地もあります。

木曽義仲公館跡(旗挙八幡宮)~治承4年(1180年)千余騎を従え平家打倒の旗挙をした地です。

木曽福島関所~中山道にあった関所で東海道の今切関所や箱根関所と同等の扱いでした。

三留野 SL公園~かつての三留野宿にD51351が腕木式信号機と共に静態保存されています。

妻籠宿~中山道・木曽路

馬籠宿~中山道・木曽路

奈良井宿~中山道34番目の宿場で最も標高が高く日本最長の宿場町。C12静態保存(デフ付)あり。

赤沢自然休養林(日本三大美林)の森林鉄道に乗車しました。森林浴発祥の地です。

臨川寺~天下の奇勝「寝覚めの床」があり、浦島太郎が住み着いた地との伝説があります。

関連記事

  1. 常滑城跡 常滑城~常滑水野氏の代々の居城、後に大目付の起源の惣目付に水野守…
  2. 修善寺城跡 修善寺城~南北朝時代の関東管領及び伊豆守護であった畠山国清の乱
  3. 鐙摺山と小浜海岸 鐙摺山(鐙摺城址)とは?小坪合戦(畠山VS三浦)・伊東祐親終焉の…
  4. 国府台城跡 里見広次亡霊の碑 国府台城~下総国の大激戦の地~国府台合戦、里見氏VS小田原北条氏…
  5. 新宮城跡 新宮城~源行家の姉の丹鶴姫が住んでいた地、続日本100名城で国の…
  6. 尾張・大野城(常滑市) 尾張・大野城~築城は一色氏でその後は佐治氏が4代支配、お江(崇源…
  7. 神指城跡(会津) 神指城跡~上杉景勝が新たな城下町を築こうとした幻の城、大ケヤキが…
  8. 鶴ヶ城(田儀城)島根県 出雲・鶴ヶ城(別名は田儀城)~築城年が諸説あるも尼子36城の一城…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 如来堂・斉藤一本陣跡、新選組殉難の地~斎藤一は会津に残り、土方歳三は北へ向かった。 新選組殉難の地

ピックアップ記事

  1. 設楽城跡
  2. 土岐頼武・頼純VS頼芸
  3. 足利公方屋敷跡(鎌倉)
  4. 有馬本城(安楽寺)(熊野市)
  5. 冷川不動尊 不動の滝
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP