【古木江城】
古木江城(こきえじょう)は、
尾張国海西郡
(現在の愛知県愛西市)
にあった日本の城です。
小木江城とも書かれています。
【城郭構造】
平城
【築城主】
織田信興
【築城年】
永禄10年(1567年)頃
【主な城主】
織田信興
【廃城年】
元亀2年(1571年)
【遺構】
無し
【歴史】
永禄年間に織田信長の
4番目の弟である
織田彦七郎信興によって
築かれたとされる城です。
伊勢長島の一向宗の抑えとして置かれました。
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元亀元年(1570年)9月、
本願寺と織田信長との間で
石山合戦が始まると、
長島でも門徒勢が蜂起します。
特に立田門徒と称する勢力は強力で、
その長島一向一揆の
ターニングポイントとなったのが、
古木江城の戦いと言われています。
長島城を落した門徒勢は11月16日、
古木江城を襲撃しました。
織田信興は織田信長や
桑名城の滝川一益に援軍を要請しましたが、
織田信長は浅井長政・朝倉義景の軍勢と
延暦寺の僧兵によって
大津に足止めされており(志賀の陣)、
一向宗に攻められて
籠城していた滝川一益も
援軍を出すことができませんでした。
6日後の11月21日に
古木江城は落城しました。
「信長公記」では織田信興は
櫓に上って自害したとされていますが、
地元では城外で討たれたと
伝わっているとのことです。
その後、城は廃城となりました。
【現在】
城があったと伝わる周辺は
農地(レンコン畑)などになっており、
遺構は残されてはいません。
城の縄張なども不明です。
なお、現地に鎮座している
こんもりと木が茂る
富岡神社の境内に
「古木江城跡」の碑が建っています。
この富岡神社は城の鎮守として
置かれたと考えられています。
【異説】
宝暦2年(1752年)の
「張州府志」では織田彦七郎信興の居城を
「古川城」と記しており、
古木江城とは別の城であったとしていますが、
天保15年(1844年)の
「尾張志」ではこの説を否定しています。
なお、愛知県教育委員会の資料では
大森村(現在の愛西市森川町村仲)にあった城が
下古川城(小木江城)、
下古川村(現在の愛西市森川町下古川)
にあった城を古川城としています。
【駐車場】
専用の駐車場はありません。
鵜戸川を挟んだ対岸にある
「道の駅立田ふれあいの里」に駐車できます。
古木江城址は、すぐ近くです。
ハスの花の咲く7~8月が
お勧めですが、藪蚊の対策が必須になります。
<所在地>
〒496-0943 愛知県愛西市森川町井桁西27
【古木江城(富岡神社)・所在地】
〒496-0943 愛知県愛西市森川町村仲86
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