城跡

亀井城(川崎 月讀神社)~伝亀井六郎(源義経四天王)の居城、戦国時代には領主は小島佐渡守、古墳もあり。

亀井城(川崎 月讀神社)



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【亀井城(川崎 月讀神社)】

亀井城は、源義経四天王の一人であった
亀井六郎(亀井六郎重清)の居城と伝えられています。
川崎や横浜には、源義経
木曽義仲のの家来の城跡と
伝わる箇所が幾つかあります。
枡形城の案内板にも亀井城の名があり、
尾根伝いで連絡がとれていた可能性があります。
最も鎌倉初期の頃には、
高い場所を屋敷にするとは考えにくいため、
亀井六郎屋敷は麓の低いところにあったと
推定されます。

【亀井六郎重清】
この亀井重清(亀井六郎重清)は
もともと紀州・鈴木氏とのことで、
熊野神社の御師や熊野の
修験者・武士たちを支えていました。
亀井重清は、1189年、
奥州・衣川の戦いで奮戦しましたが、
兄と共に自害して果てました。
戦国時代には子孫と考えられる
亀井氏が尼子経久の側近となり
亀井秀綱などが筆頭家老となっています。
けれども毛利元就の台頭によって
殺害され没落すると、
玉造温泉・玉造要害山城主である
湯永綱の長男が婿養子となって
亀井茲矩(かめい-これのり)
を輩出しています。

【亀井城の記述】
新編武蔵国風土記稿によりますと、
上麻生村に「小字亀井 亀井と云人
居住せしより、かくよべりともいへり」
との記述があり、
「亀井城と呼ぶ」としているとのことです。
月読神社は、武蔵・亀井城の
一角であったとされています。

布施氏
小田原北条氏の頃には
布施蔵人の所領であった模様です。
1559年頃に作成された
「小田原衆所領役帳」では
麻生は北条氏の家臣・布施蔵人佑
(ふせくらんどのすけ)が
82貫500文の知行となっています。
布施蔵人佑は、
平塚の布施氏館主である
布施康則(布施佐渡守康則)
の一族と考えられます。
が御馬廻衆のため
小田原城にいたと考えられており
柿生には居を構えていなかった模様です。




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小島氏
月読神社の縁起によりますと
戦国時代の天文3年(1534年)の
領主は小島佐渡守とあります。
応仁戦乱の苦悩にあえぐ
領民のため天下泰平・五穀豊穣を祈願して
「亀井城の卯の方に社殿を建立した」
とあります。
布施氏は小田原にいた可能性が高く、
小島氏が代官的な立場に
なっていた可能性があります。
小島高治(小島佐渡守高治)と言う
武将の名が見られます。
兄である小島玄蕃貞治が
病弱であったので
家督を弟である小島高治に譲って
下麻生にて隠居し、
鬼門に常安寺を開基したとのことです。
したがって柿生の領主は
小島佐渡守源左衛門高治であり、
1514年に死去したそうです。
その後、常安寺は焼失し、
1544年に再建され、
小島家の墓所も残っているとか。
ただし未確認です。
1590年4月、
小田原征伐中の豊臣秀吉が、
都筑郡麻生郷(川崎市麻生区)周辺を
領していた小島家に送った書状が現存しています。

【「卯の方」と亀井城の位置】
前述の月讀神社の縁起の
「亀井城の卯の方に社殿を建立した」
の「卯の方」とは
東の方角と言うことになります。
そうなると、亀井城の東が
月読神社と言う事になり、
柿生の月読神社(月讀神社)の
脇にある高い位置に
屋敷を構えていたと考えられます。
その場合、防御性もあった
戦国時代の城跡とも言えます。
ただし、亀井城の場所としては
推定となります。
亀井城跡の一部とされる
月読神社まで鳥居からの参道は
かなり長く、その先には
100段くらいの階段があります。
現在月読神社境内には、
遺構らしい遺構はありません、
けれども、道の脇の竹林の中に
土橋の様な地形と
その脇の空堀の様な地形が見えますが、
竹林は所有地なので、
勝手に中に入ることはできません。
川崎 月讀神社(武蔵亀井城)

古墳
なお月読神社境内には、
下麻生亀井古墳群が所在しています。
3基の古墳が確認されており、
参道脇に墳丘を確認する事が出来る
1号墳は直径約11mを測る円墳で、
墳丘には石祠が祀られています。
2号墳、3号墳については
所有地に有り確認する事は
出来ないとの事です、
発掘調査によりますと、
古墳は2基の円墳からなり、
埋葬施設は横穴式石室が確認され、
大刀や多量の鉄鏃が出土したとのことです。
調査後、古墳は破壊されてしまった模様です。
また、近くには、江戸幕府2代将軍の
御台所であるお江の方の伝説がある
龍口池ノ公園と化粧面谷公園が有ります。
武蔵の里 散歩道
(川崎市麻生区)

【交通アクセス】
小田急「柿生」駅より徒歩30分ほど。
1.5km位の急な登り坂があります。
本当にかなり急です。
車でも行けますが、
かなり急坂でしかも道が狭いので
運転にはくれぐれもご注意ください。




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【駐車場】
月讀神社の隣に、
月讀神社参拝者用と
思われる駐車場がありますが、
「駐車不可」「駐車禁止」
の立て看板があり、
本当に駐車してよいか迷います。
しかしながら付近は道が狭く、
かつ曲がり角も多いため、
道路に止めるには危険なので
ほんの数分程度止めて
車に戻りました。
コインパーキングが
離れたところや丘の下にあるとの
情報がありましたが、
見つけることができませんでした。

住宅地になってはいますが、
小高い丘の上にあります。
見晴らしは現代でも良いほうです。

【所在地】
〒215-0021 神奈川県川崎市麻生区上麻生7丁目38−4

玉造要害山城・城主の湯氏は、宇多源氏佐々木一族で、戦国の知将にて辣腕大名の亀井茲矩のご先祖です。

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