【丸山城跡】
丸山城の詳細は不明ですが、
扇谷上杉氏が築いたと
推測されています。
またこの場所は元々は
武蔵七党のひとつ「横山党」の一族、
糟屋氏の居館があった場所でした。
その後は伊豆から相模に進出した
伊勢盛時(北条早雲)に備えるために
扇谷上杉氏が居館跡を改修して
城を築いたと考えられています。
太田道灌の最期の地である
糟屋館もここであった可能性がありますが、
詳細はわかっていません。
現在は「丸山城址公園」として整備されており、
土塁や空堀、切岸などの遺構が
残され、丁寧な説明パネルも設置されています。
2008年(平成20年)に
おこなわれた発掘調査では
堀幅約16m、深さ7.5mと言う
大規模な障子堀障子堀が
発見されましたが、
現在は埋め戻されています。
また近くには、太田道灌の菩提寺である
大慈寺があります。
城域も、もっと広かったようで、
東海大のほうから南側の台地集落にある
高部屋神社も、丸山城の一部だったと推測されています。
城址公園は土塁が見ものです。
すぐ南の大慈寺そばに道灌首塚が、
多くの南関東城跡に名を遺す
太田道灌最期の地比定地の一つとされています。
【縄張形態】
平山城
【標高】
(31.5m)
【築城主】
扇谷上杉氏
【築城年】
室町時代
【主な城主】
上杉定正
【遺構】
土塁、空堀
【所在地】
〒259-1143 神奈川県伊勢原市下糟屋2203−5
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【丸山城址公園・所在地】
〒259-1143 神奈川県伊勢原市下糟屋2168−2
【遊具】
あり(複合遊具等)
【トイレ】
あり(おむつ交換台、ベビーチェアあり)
【駐車場】
15台(うち身障者用1台)
【交通アクセス】
(電車・バス)
小田急小田原線「伊勢原」駅から
徒歩20分
小田急小田原線「伊勢原」駅北口から
神奈川中央交通バス2番乗り場
「愛甲石田駅」行き
「粟窪入口」下車後、徒歩5分程度。
(車)
東名高速道路・厚木ICから15分程度。
※国道246号線沿いの
小高い丘にある公園です。
【高部屋神社】
高部屋神社(たかべやじんじゃ)は
神奈川県伊勢原市下糟屋にある神社です。
延長5年(927年)の
「延喜式神名帳」に記載されている
相模国の延喜式内社
十三社の内の一社(小社)
とされていますが、論社も存在しています。
旧社格は村社。
かつてはこの神社と同名の
大住郡高部屋村の村社であり、
またこの地区を含む糟屋庄の総鎮守としても
崇敬されていました。
創建年代は不詳です。
「延喜式神名帳」に
相模国13座の内の1社と記載されており、
大住郡127ヶ村の惣鎮守でした。
ただし、伊勢原市高森にある高森神社も、
式内社「高部屋神社」の
論社の一つとされています。
この神社が明治の神仏分離令以前は
「高部屋神社」という呼び名
であったと伝えられており、
更に棟木や鳥居脇の石碑(裏側)に
「高部屋神社」という銘文が残されています。
鎌倉時代に、糟屋庄の地頭であった
源頼朝の家人で武蔵七党の一つである
横山党の「糟屋有季」が、
高部屋神社を守護神として
新たな社殿を造営しています。
至徳3年(1386年)12月に
河内守宗国によって造られ、
平秀憲が寄進した銅鐘は
神奈川県指定重要文化財に
指定されています。
天文20年(1551年)に
地頭の渡辺石見守が
社殿を再興しました。
天正19年(1591年)11月に
徳川家康より社領10石の御朱印を賜りました。
江戸時代中期頃まで別名
「糟屋八幡宮」と呼ばれていました。
江戸時代の正保4年(1647年)に
本殿を再建しましたが、関東大震災で倒壊し、
昭和4年(1929年)に
柱・彫刻・正面扉等を
そのまま使用し再建されました。
拝殿は慶応元年(1865年)に再建されています。
【黄檗宗との関係】
神事に用いられる
鎌倉時代以降の雅楽面三面の古面や、
京都府宇治市にある黄檗山萬福寺7世・悦山道宗
(中国福建省泉州府晋江県からの渡来僧)が
元禄初期に揮毫した「八幡宮」の扁額があります。
本殿前の狛犬を寄進した
行按・行白も黄檗宗の僧で、
一時期、別当神宮寺とともに
黄檗宗との関係が深かったとみられています。
黄檗宗とは日本の三禅宗のうち、
江戸時代に始まった一宗派です。
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【御朱印】
現在は伊勢原大神宮が管理を兼務しており、
御朱印等はそちらで頂けるとのことです。
【神事】
平安時代より一千年以上続く神事として
「汐汲みの神事」が9月に執り行われています。
儀式に使われる浜砂は、
住吉大神(大住大明神)が
上陸したと言われる照ヶ崎海岸
(神奈川県中郡大磯町)から
採取しているとのことです。
明治初期頃までは照ヶ崎まで
片道16kmの道のりを
宮当番と神主が歩き、
海水と浜砂、
海藻のホンダワラ(馬尾藻)を採取していました。
海水は鎮火水とし、
浜砂はお清めのために参道に撒き、
ホンダワラは拝殿と鳥居の注連縄に
吊るします。
【国の登録有形文化財】
【本殿】
関東大震災で倒壊しましたが、
昭和4年に再建されました。
主要な木材は、正保4年(1647年)に
再建された倒壊前の本殿を再利用しています。
なお、平成28年2月25日に
国の登録有形文化財に登録されています。
【拝殿】
慶応元年(1865年)に再建されました。
本殿と同様に平成28年2月25日に
国の登録有形文化財に登録されています。
【神奈川県の重要文化財】
【鐘楼】
至徳3年(1386年)12月に
平秀憲が銅鐘を寄進しました。
なお、銅鐘は神奈川県の
重要文化財に指定されています。
【所在地】
〒259-1143 神奈川県伊勢原市下糟屋2202
糟屋有季~糟屋(糟谷)氏の所領は伊勢原市一帯で横山党とも繋がりがあります。糟屋氏一族の城所城跡があります。
太田道灌~扇谷上杉氏の家宰で多彩で非凡な才能故に主君に疎まれ暗殺された悲劇の武将。
扇谷上杉管領屋敷跡~扇谷上杉氏の遠祖は足利尊氏の叔父。鎌倉公方を補佐する関東管領家として鎌倉に居住。
伊勢盛時(北条早雲・伊勢宗瑞)の登場~小田原北条初代~名門一族の出自で関東に覇を唱えに行く!
七沢城(神奈川県厚木市)~関東不双の案者らが築城したと伝わる扇谷上杉氏の要害です。
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