【木曽義仲公館跡(旗挙八幡宮)】
旗挙八幡宮(はたあげはちまんぐう)
当神社は、平安時代末、
幼少時代を木曽にて過ごした木曽義仲公が、
養父である中原兼遠と共に
京へ上った時、
源氏一門の崇敬の篤い
石清水八幡宮を勧請し当地に祀ったと
伝えられています。
当社の鎮座する一帯は、
宮ノ原と呼ばれ、
木曽義仲公が仁安元年(1166年)に
13歳で元服した際に、
上田(木曽福島)にある養父の
中原兼遠の屋敷から移ったといわれており、
館を当地に構えたといわれています。
(旧)中山道を見渡す段丘上にあり、
吉蘇路(きそじ)が開通した時(713年)には、
御殿(みどの)、
東野(とうの)、
徳原(とくばら)とともに
官舎が設けられた交通の要所でした。
当地にて、以仁王(もちひとおう)の
令旨を受け治承4年(1180年)、
千余騎を従えて、平家打倒の旗挙をしたのです。
それ以来、旗挙八幡宮と呼ばれています。
また、社殿傍らの大欅は、
木曽(源)義仲公の元服を祝って
植えられたとも旗挙をした時に
植えられたとも云われています。
樹齢約八百年以上の古木です。
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義仲七本欅といわれ、
明治中頃までは村内に
木曽義仲公ゆかりの大欅が
残されていましたが、
現存するのは、この欅のみとなっています。
胸高周囲約12m、樹高約30mとのこと。
落雷や台風の被害により幹は折れ、
樹勢が衰えていましたが、
平成14年3月、日義村の文化遺産として
枯幹の保全事業が行われました。
大欅の傍らには、
樹齢150年余りの2代目欅が
大欅からの実生で生育しており、
後継の御神木として
木曽義仲公を末永く語り続けていくことでしょう。
西に沈む燃える夕日は
信州サンセットポイント百選に
選ばれる程の眺望であり、
中山道木曽路の要所であったことが
うかがえます。
<ご祭神>
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
木曽義仲(きそよしなか)
<例祭日>
9月14日
【所在地】
〒399-6101 長野県木曽郡木曽町日義2150
【駐車スペース】
あります。
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