鎌倉殿の13人

武田信義館跡~甲斐武田氏の祖である武田信義が館を構え、縁の地名も伝えられています。

武田信義館跡



スポンサーリンク



武田信義館跡】

甲斐武田家の祖である
武田信義公が館を構えた場所と伝えられています。
神山町武田の集落の東側にあり、平地です。
周辺には「お屋敷」・「お旗部屋」・
「神酒部屋」・「お庭」・「的場」・
「お堀」・「金精水」・「具足沢」
などの地名も伝えられています。
また館跡から約200m山側の新田遺跡では
12世紀代の青磁が出土しています。
この周辺の鎌倉時代の様子を伝える
資料といえます。
平成20年には館跡推定地の
東部の発掘調査により、
水晶・中国産陶磁器などが出土しました。

武田信義館跡付近の史跡の分布

武田信義公は平安時代末期から
鎌倉時代初期の武将で、
元の名を源信義といいます。
保延6年(1140年)、
13歳のときに武田八幡宮で元服し、
武田太郎信義を名乗りました。
その後、強大な武力を誇る
甲斐源氏一族を率いて
平家討滅の武功をたてました。

武田信義館跡

1186年に病没したとされ、
お墓は館跡近くの願成寺にあります。

【所在地】
〒407-0041 山梨県韮崎市神山町556−2

【駐車場】
わに塚のサクラ駐車場
山梨県韮崎市神山町武田260

武田信義館跡 看板

【交通アクセス】
(電車・タクシー・バス)
JR中央本線「韮崎」駅から
タクシーで約10分程度。

韮崎駅前ロータリーから
市民バス円野線に乗車、
バス停「武田」で下車、徒歩約10分程度。

(車)
中央自動車道「韮崎」ICから約15分程度。

武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。

武田八幡宮~創建は平安時代、甲斐武田家の氏神として尊崇されてきました。

甲斐・白山城~武田信義が築城し、戦国時代にはその子孫が城主となった山城で国史跡です。

関連記事

  1. 江馬氏城館跡・江馬氏下館 江馬氏館跡公園~国の史跡~中世武家館の様相がわかります。
  2. 三門館への道 比企掃部允~比企尼の夫、ナゾ多き人物で居住していた三門館跡にもナ…
  3. 東伊豆の海 豆州 天野遠景~工藤氏の一族で天野氏の祖~初代の鎮西奉行に就任。子孫が…
  4. 三浦義村の墓(旧) 三浦義村~鎌倉幕府の創設期から執権政治の確立まで仕え権謀術数に優…
  5. 曽我兄弟の像(曽我寺) 曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽…
  6. 今福薬医門公園 今福薬医門公園に行ってみよう!祖先は武田氏家臣。四季折々のお花見…
  7. 小笠原長清館跡 小笠原長清~弓馬四天王と称され、武家の有職故実を伝える小笠原一族…
  8. 中山家範館跡 中山家範館~武蔵七党の丹党、中山家範は八王子城で戦死、子の中山信…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 伊奈忠次~松平信康の家臣で伊賀越え貢献で帰参、利根川東遷や荒川西遷、江戸幕府の財政基盤の確立に寄与。 河川(江戸川)富士山

ピックアップ記事

  1. 安芸高木山城
  2. 大伴家持の像
  3. 土壁 奈良
  4. 平作城 城の腹堰の石碑
  5. 岩出城(三重県)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP