【報国寺】
報国寺(ほうこくじ)は、
神奈川県鎌倉市浄明寺二丁目にある
仏教臨済宗建長寺派の寺院です。
正式には功臣山報国建忠禅寺と号します。
(こうしんさんほうこくけんちゅうぜんじ)
本尊は釈迦三尊です。
境内に孟宗竹約2000本からなる竹林があって
観光名所にもなっており、
竹寺として知られています。
鎌倉三十三観音霊場の第10番、
鎌倉十三仏霊場の第8番(観音菩薩)、
東国花の寺百ヶ寺の鎌倉5番札所です。
【寺の歴史】
この寺は、建武元年(1334年)、
天岸慧広の開山により
創建されたと伝えられています。
開基については足利尊氏の祖父である
足利家時であり、
上杉重兼も創建に関わっていると
伝えられています。
両家の菩提寺でもあります。
臨済宗における寺格は
諸山に列せられていました。
その後室町幕府を開いた足利尊氏は
子である足利基氏を鎌倉公方に
据えました。
鎌倉では4代90年に渡って
栄えておりましたが
永享10年(1438年)に
起きた永享の乱で敗れた
4代鎌倉公方足利持氏が瑞泉寺塔頭の
永安寺にて、そしてその嫡子である
足利子義久がこの報国寺で自刃しています。
この時まだ10歳でした。
報国寺は鎌倉における足利公方の
終焉の地でもあります。
<足利家時ほか一族の墓(やぐら)>
足利家時(室町幕府開祖、足利尊氏の祖父)、
足利義久(四代鎌倉公方、足利持氏の嫡男。10歳で自刃。)
の墓があります。
<五輪塔群>
鐘楼脇には鎌倉幕府滅亡時に、
北条高時に殉じた鎌倉将士の墓と
伝えられる五輪塔群があります。
新田義貞の鎌倉攻めの際、
由比ヶ浜での戦没者の埋葬の塚とか。
【文化財】
<重要文化財>
東帰集(伝仏乗禅師筆)1冊、
1巻(附:絹本著色仏乗禅師像、堆朱印櫃入木印2顆)
仏乗禅師(天岸慧広)度牒1通・仏乗禅師戒牒4幅
【所在地】
神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目7-4
【交通アクセス】
JR「鎌倉」駅より
<京急バス>
鎌倉霊園正面前太刀洗・
金沢八景駅行・
ハイランド行き
「浄明寺」バス停下車 徒歩3分~5分程度
<タクシー>
7分程度
<車>
横浜横須賀道路
「朝比奈」ICより約10分程度
【拝観料】
「竹の庭」(拝観料300円)
茶席「休耕庵」があり、
拝観料と別料金で、
抹茶と茶菓子が供されます(600円)。
尚、抹茶の受付は午後3時30分迄です。
【拝観時間】
「竹の庭」拝観時間:
午前9時~午後4時
「日曜座禅会」参加費用:
志納、毎週日曜
到着午前7時30分迄
午前8時~午前10時(途中参加不可)
足利公方邸跡(鎌倉)、鎌倉時代初期に足利義兼が構えた屋敷は足利尊氏も住みやがて激動の室町時代を迎えます。
生土城跡~大森氏が築城した支城~鎌倉公方・足利持氏が滞在したと伝わる中世の城。
扇谷上杉管領屋敷跡~扇谷上杉氏の遠祖は足利尊氏の叔父、鎌倉公方を補佐する関東管領家として鎌倉に居住しました。
太田道灌~扇谷上杉氏の家宰で多彩で非凡な才能故に主君に疎まれ暗殺された悲劇の武将。
竹之下合戦古戦場~足利尊氏が新田義貞に大勝した地~時代は南北朝へ!
井出の沢古戦場跡~中先代の乱~南北朝黎明期、足利直義と北条時行が激突した合戦の場
古河公方館跡~古河公方とは?関東における戦国時代の幕開けの存在
増上寺~創建は室町時代で徳川将軍家の菩提寺、本堂と東京タワーが1枚に収まります。
高幡城跡~新選組・土方歳三の菩提寺である高幡不動尊~分倍河原の戦いにて上杉憲秋の終焉の地
勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。
この記事へのコメントはありません。