鎌倉殿の13人
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武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。
【武田信義】武田信義(たけだ のぶよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。源清光の次男で逸見光長は双子の兄となります。なお、一説には逸見光長とは異母兄弟とも云われています。甲斐源氏4代当主であり、武田氏…
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平維盛~平清盛の嫡孫で桜梅少将と称される美貌の貴公子でしたが、最期は自ら散ります。
【平維盛】平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将です。平清盛の…
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義円~源義朝の八男で源義経と阿野全成とは同母兄弟で源頼朝の異母弟、墨俣川の戦いで散る。
【義円】義円(ぎえん)または源 義円(みなもと の ぎえん、久寿2年〈1155年〉⇒治承5年…
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堤信遠~山木兼隆の後見人で伊豆の権守、源氏が平家を征する最初に放った矢となりました。
【堤信遠】つつみのぶとお、と読みます。生年は不詳です。平安末期の武士で、堤権守と称してい…
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足立遠元~十三人の合議制のメンバー、平治の乱で活躍し、東国武士ながらも文官の素養を持つ人物でした。
【足立遠元】足立 遠元(あだち とおもと)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。足…
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二階堂行政、13人の合議制のメンバーで初期の鎌倉政権を支えた実務官僚でした。
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八田知家~小田氏の始祖であり十三人の合議制の一人で源氏4代に仕えた人物です。
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平知康~後白河法皇からの信任篤き人物でしたが木曾義仲、源義経、源頼家と源氏との相性はイマイチでした。
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一戦場古戦場 ~安房に逃れた源頼朝が奇襲にあい、合流した三浦義澄が討ち取った古戦場
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佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの武勇で有名、会津・蘆名氏の祖です。