【反町館跡】
反町薬師(そりまちやくし)は、
群馬県太田市新田反町町にある真言宗の寺院です。
正式名称は瑠璃山妙光院照明寺。
1月4日には厄除けの縁日が開かれます。
境内には桜の木や藤棚があり、
花の季節には見物客でにぎわうそうです。
敷地は新田義貞の居館跡といわれる場所で
「反町館跡」とも呼ばれています。
「新田荘遺跡」のうちの1箇所として
国の史跡に指定されています。
現在でも寺の周囲には堀や土塁が残っています。
なお、新田義貞が戦などで留守の場合は、
大舘氏明が留守を預かっていたとの事です。
【反町館について】
反町館は新田荘を代表する館跡です。
昭和33年に群馬県史跡に指定されましたが、
平成12年に新田荘遺跡として国史跡に指定されました。
館跡の平面形は凸字型で、
南側で約120m、
北側で約73mあります。
東西方向は南辺で138m、
北辺で75mあり、
南北方向は115mあります。
東西両側には「折」を持っています。
出入口は南東角と西側の二カ所にありました。
周囲には常時水をたたえる堀が巡らされています。
東側の堀の北半部は
県道改修の際に二倍以上の幅に広げられています。
堀の幅は10~20mあります。
堀の内側の南・西・北には土塁が残っています。
土塁は基底部で10~13m、
高さは4~6mあります。
築造された年代は明らかではありませんが、
鎌倉時代から南北朝時代ころに築造されたと考えられています。
その後、室町時代に金山城の支城となりましたが、
戦国時代になって、
三重の堀を巡らす城郭に拡張されたと推定されています。
現在、館跡は瑠璃山妙光院照明寺の境内となっています。
照明寺本堂の裏には、
新田義貞が軍議を開いた時に、
鳴いている蛙の声を静めたという伝承を持つ
「不鳴の池」があります。
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【歴史】
14世紀初頭に築造され、新田氏の居館となりました。
戦国時代には拡張され、三重の堀を巡らす城郭となりました。
1584年、小田原北条氏が金山城を攻撃する際の本陣となりました。
1590年、小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れると、
幕下であった金山城主由良氏の左遷とともに廃城となりました。
由良氏により、館跡に照明寺が建立されました。
【指定区分】
国指定史跡<遺跡地>
【指定年月日】
平成12年11月1日
【所在地】
〒370-0313 群馬県太田市新田反町町896
【交通アクセス】
【自動車】
東北自動車道館林ICより約50分。
北関東自動車道伊勢崎ICより約20分。
【鉄道】
東武伊勢崎線太田駅よりタクシーで約30分。
東武伊勢崎線木崎駅よりタクシーで10分。
<場所>
青印は駐車場入り口付近です。
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