徳川家臣

中牧城(浄古寺城)~武田信玄時代に築城、後に徳川家康家臣が城代、遺構規模が多い城跡。

中牧城本丸天守台跡



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【中牧城(浄古寺城)】

中牧城は徳川家康の家臣である
内藤三左衛門信成が
城主をつとめた城とされています。
武田氏が支配していた頃は
大村加賀守、伊賀守が
城主だったといわれています。
中牧城(浄古寺城)案内板

八幡神社に設置されている
案内板によりますと、
築城の目的は
北国防衛のためで
築城年は武田信玄の時代、
天文17年(1548年)に
土地の豪族大村氏に命じて
築城されたとあります。
天正10年(1582年)、
武田勝頼滅亡のあと
中牧城兵は徳川家康に反抗して破れ、
徳川家康入国後は
家臣の内藤三左衛門が城代となり、
天正17年(1589年)に
築城修復をしたとのことです。
中牧城跡 二ノ丸
八幡神社

天正18年(1590年)の
小田原征伐」後に
徳川家康が関東に転封されると
内藤三左衛門信成は
韮山城主となり、
代わって浅野長政
甲斐に入封しましたが、
浅野長政は甲府城を築いて
甲斐支配の拠点としたため
廃城になったとみられています。
現在城址には土塁や
空堀などの遺構が残っています。
また二の丸跡とされる
八幡神社に案内板が建てられています。
中牧城(浄古寺城)二ノ丸 八幡神社

【城の規模・形状など】
同じく案内板にには
城の規模は東西約330m、
南北約420mで本丸と天守台跡、
二の丸、三の丸、大手門、搦手
門跡があるとのことです。
付近には城にまつわる地名で
屋敷、堀の内、替地、請地、
田屋(胎屋)堀端などがあるとのことです。
中牧城(浄古寺城)周辺図

八幡神社の北側の7mほど高い
最高所が本丸であったとのことです。
本丸は底辺が100m、
上辺が80mほどの台形状の曲輪とのこと。
北西側には大規模な土塁が盛られていました。
中牧城(浄古寺城) 北西側の堀

特に北西の角は
塁上の面積が広くなっており、
ここが天守台と呼ばれる部分であるとのことです。
この土塁の南端部分には
石碑が建てられており、
そこに「中牧城本丸天守台跡」と
刻まれています。
が、実際の天守台は
この位置ではあるかはわからない
部分があるとのことです。
石碑までの足場はきちんと整備されてはおらず、
雨模様などで足場が濡れている時は
滑りやすくなると思われるのでご注意ください。
中牧城本丸天守台跡

堀の北側が5郭であるとのこと。
5郭にも土塁が残されていますが、
その幅は6m以上あり、かなり広くなっています。

本丸の西側は堀を隔てて4郭となり、
その西側は高さ8mほどの切岸となっており、
外堀(鳥ノ口堤)であり、
この城塁に沿って水路が走っていたものと
見られています。




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本丸の南側の一帯が広大な2郭(二ノ丸)となります。

山梨では珍しい
遺構規模の大きな城跡となっています。
織豊期城郭と言われており、
山梨県内で織豊期城郭と言われているのは
ほかに甲府城とされています。
そうした意味でこの場所にある
もう1つの織豊期城郭として
貴重であるとのことです。

【縄張形態】
平山城

【標高(比高)】
570m(20m)

【主な改修者】
内藤信成

【主な城主】
二階堂氏、大村氏、内藤氏

【遺構】
土塁、曲輪、空堀、櫓台

【指定文化財】
市史跡

【交通アクセス】
JR中央本線「塩山」駅から
バスまたはタクシー
山梨交通バス⇒「窪平」バス停下車、
徒歩約20分
※バス運行に関しては
最新の情報をご確認ください。

中央自動車道「勝沼」ICから約25分

専用の駐車場はありません。
八幡神社の横に車をとめて登城しました。

なお、現在はぶどう畑になっているので
収穫期などによる繁忙期の登城は
避けられた方が
よろしいかと存じます。

【所在地】
〒404-0015 山梨県山梨市牧丘町城古寺

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