史跡・城跡

笠木館~笠木御所とも呼ばれ北畠氏の一門である坂内氏の居館、県内屈指の中世の居館跡となります。

笠木館(三重県)



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【笠木館】

多気郡多気町笠木(かさぎ)には、
平面規模においては
県内でも屈指の
中世の居館跡が遺されています。
遺構は、東西約500メートル、
南北約400メートルの範囲に及んでいます。
その中には、一辺が30メートルほどの
規模の方形郭が連なり、それが今なお、
40箇所近く確認することが
できるのとのことです。
また、井戸跡も20箇所以上
確認されており、
非常に大規模な居館であったことが
うかがえます。
笠木館

【居館の主と背景】
笠木館は北畠氏の一門である
坂内氏の居館でした。
笠木御所とも呼ばれ、
北畠具教織田信長との和睦の条件として
嫡子である具房の養嗣子に
織田信長の次男の織田信雄を迎えた際に、
自ら退いた場所と「信長公記」にあります。
天正4年(1576年)11月に
北畠具教が三瀬館で謀殺されると、
当時の笠木城主であった坂内兵庫頭具義も
田丸城で殺害されてしまいました。
県内でも屈指の規模を誇る居館で、
現在跡地は竹藪になっていますが、
40近くの曲輪が数えられ、
土塁、空堀、22ヶ所の井戸が残っています。

【本当の居館主は?】
この居館主については、
流布している伊勢国司北畠氏の
家臣帳などに見える北畠氏の一門
「笠城御所」が当てられてきました。
北畠氏の一門衆は、
近世以降に著述された地誌や
軍記物に多く登場しています。
中でも、坂内・大河内・玉丸・
木造・岩内などは当時の史料でも
確認できますが、
あくまで伝承の域を出ないものも
少なくないとのことです。
「笠城御所」もその一つであり、
当時の史料では、「笠城」あるいは
「笠木」を号する北畠氏一門は
確認できないとのことです。

【規模からして北畠一門の一択】
が、この居館が存続していた
中世後期において、
この地域にこれほどの規模の
居館を構えることができたのは、
伊勢国司として南伊勢を
領有していた北畠氏以外には
考えられないことでもあります。

【笠服庄について】
笠木は、古くは「笠服」とも書き、
神宮領として「笠服御薗」の名が、
関係史料中に見られます。
また神宮領を書き挙げた
「神鳳鈔(じんぽうしょう)」では、
内宮領として「笠服庄」が
挙げられているとのことです。




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【居館主が坂内氏である根拠】 
この「笠服庄」については、
室町時代に内宮の一祢宜であった
荒木田氏経の記録「氏経卿引付」や
「氏経神事記」では、
同じく多気郡内の柳原とともに、
神宮祭主領として見えています。
そして、北畠氏一門の坂内具能(ともよし)が
その地を知行し、寛正6年(1465年)には
神税を押領したとして、
神宮より例年のごとく納めるよう
催促されていたとのことです。
坂内氏による笠服庄の神税押領は、
その後も続いたようで、
文明15年(1483年)にも、
時の国司北畠政勝の実弟
坂内房郷に対して、
神税の催促がなされていることが
「内宮引付」に見えています。
荒木田氏経宛の坂内氏奉行人である
中島俊貞の返書に「御所様御在庄」
とあるとのことです。
このとき「御所様」、
坂内房郷が笠服庄に「御在庄」しており、
この地に坂内氏の居館のあったことを
示しているとのことです。
以上のことから、
笠木の地が北畠氏一門の坂内氏と
深く関係していたことは明らかであり、
笠木館の居館主として
坂内氏を想定することは、
現時点で最も妥当ではないかと
考えられているとのことです。
笠木館

【縄張形態】
平山城

【標高(比高)】
44m

【主な城主】
坂内氏

【遺構】
土塁、空堀、井戸

【交通アクセス】
(電車)
JR参宮線「外城田」駅から徒歩約22分
JR参宮線「外城田」駅からタクシーで8分
(車)
伊勢自動車道・勢和多気ICから20分

【所在地】
〒519-2162 三重県多気郡多気町笠木198

三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。

大河内城~大河内御所と呼ばれた北畠三御所の中でも代々の筆頭格で、 宗家が絶えた際には継ぐ立場でした。

岩出城~北畠氏の一族である田丸直昌が築城、後に蒲生氏郷に従い、会津へ付き従いました。

田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。

木造城~北畠氏領域の最北端に位置し木造氏は北畠一族だが織田信長に従い北畠氏攻略の先駆けとなった。

金井城(北金井城)~種付千代次秀信の居城、遺構が良好に残っています。

浜田城(伊勢国)~田原忠秀が築城し四日市の地名も誕生、後に滝川一益に攻略され落城、子は小牧・長久手の戦いで討死

尾鷲・中村山城~仲氏の本拠の城でしたが、堀内氏善に攻略され和睦し降伏しました。

鬼ヶ城本城~有馬忠親の隠居城でしたが攻城され熊野水軍を率いた堀内氏善が治めました。

紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。

有馬本城~鎌倉時代に熊野別当家の出という有馬氏が築城したと伝わります。

鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。

川瀬城~赤木城から5km余、立派な城址碑と傍らに小さな五輪塔がある城主不明の城跡。

赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。

鬼ヶ城~国の名勝で天然記念物、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部の海岸景勝地です。

花の窟神社~伊弉冉尊の葬地と伝わる磐座信仰のある巨岩、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

丸山千枚田~白倉山の南西斜面を利用した棚田群、棚田オーナー制があります。

鉱山トロッコ電車(坑内電車)で行く湯ノ口温泉~入鹿温泉ホテル瀞流荘⇔湯ノ口温泉をレトロなトロッコ旅。

蒸気機関車C58 414(三重県度会郡玉城町)・C58・359(三重県亀山市)、静態保存

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