鎌倉殿の13人

一幡~一幡之君袖塚~源頼家の長男として誕生するもわずか6歳で人生の幕を閉じる。

一幡之君袖塚



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一幡

一幡(いちまん)は、
(建久9年(1198年)⇒
建仁3年9月2日(1203年10月8日))
鎌倉幕府第2代征夷大将軍、源頼家の長男です。
母は比企能員の娘である若狭局(讃岐局)。
公暁、栄実、禅暁は異母弟、
竹御所は同母妹と考えられています。

【一幡の生涯】
初代将軍源頼朝の嫡男頼家の長男として誕生しました。
源頼朝にとっては初孫誕生でした。
しかし翌年、源頼朝が死去し
源頼家が家督を相続します。
一幡が6歳となった建仁3年(1203年)7月に
父である源頼家が重病となり、
危篤状態に陥ると
家督相続を巡って
一幡の母の実家である比企氏と、
源頼家の母方の外戚である
北条氏の対立し、やがて比企能員の変が起こります。

「愚管抄」によりますと、
重病に陥った源頼家は家督をすべて
一幡に譲ろうとしたのですが、
そうすると一幡の外祖父である
比企能員が権力を掌握してしまう事を
恐れた北条時政が、
比企能員を呼び出して謀殺してしまいます。
そこで源頼家の弟で一幡の叔父である
千幡(源実朝)を次期将軍に立てるべく
都へ使者を送り、その間に比企一族は
北条氏一派の率いる大軍に攻められて滅亡しました。
一幡は母が抱いて逃げ延びたのですが、
11月に北条義時の郎党に捕らえられて
刺し殺されたということです。
享年は6歳でした。
源頼家の子女の中で最初の死亡者でもありました。

【比企能員の変の背景】
鎌倉幕府北条氏編纂書である「吾妻鏡」では、
家督相続は一幡に関東28ヶ国の守護・地頭職を譲り、
一方、北条時政が後ろ盾となっている
千幡には関西38ヶ国の守護・地頭職が譲る
とする決定に比企能員が反発。
源頼家に讒言して北条時政と
千幡(源実朝)の討伐を計り、
北条時政が先手を打って比企能員を殺害し、
一幡の住む小御所を襲撃して
比企一族を滅ぼしたとしています。

【巫女の不吉な予言】
一幡と若狭局(讃岐局)も、
その時に一族と共に焼死したということです。
事件が起こった年の「吾妻鏡」正月2日条には、
一幡が鶴岡八幡宮に参拝した際、
巫女が神懸かり
「今年中に関東に大事が起ころう。
若君(一幡)が家督を継ぐ事はない。
崖上の樹の根はすでに枯れている。
人々はそれを知らずして梢の緑を頼みとしているのだ」
と叫んだ、と一幡の死を暗示的に書いています。
(それって・・・・予め仕組んでいたのでは?
不安にさせて・・・いつの世も変わりがありませんな)

現在、比企能員邸のあった場所には
妙本寺が建ち、
その中に比企一族の墓、
一幡の振袖塚、若狭局(讃岐局)の蛇苦止堂があります。

妙本寺 蛇苦止堂(じゃくしどう)

【一幡之君袖塚(いちまんのきみそでつか)】
妙本寺内にある一幡之君袖振塚は
比企氏の乱の後に比企氏邸の館跡から出てきた
出てきたという小袖の供養塚です。
「吾妻鏡」によりますと、
9月3日、小御所跡から出てきた一幡君
のものという小袖を
大輔房源姓が見つけ出し、
高野山奥の院に奉納するために
出かけているという記述があるそうです。
また、一幡気君が最期に着用していた小袖は
菊花の模様の染めた小袖であったとか。

【一幡の死亡時期】
前述の「愚管抄」では11月となっていますが、
もう一つの時期として、
一幡君は比企氏の乱がおきた
建仁3年(1203年)9月2日に、
一幡君の小御所も焼かれ、
焼死してしまったと伝えられています。
また、母親の若狭局(讃岐局)は
池に身を投げて自死とのことです。

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比企能員の妻~渋河刑部丞兼忠の娘・「鎌倉殿の13人」では道、二つの渋河氏、比企氏と源氏の深い関係と安房国

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