【桜井城】
桜井城(さくらいじょう)は、
千葉県旭市櫻井にあった日本の城です。
【主な城主】
東氏、上代氏
【遺構】
土塁、堀
【概要】
桜井城は、前掛城、舞掛城、前野城、
上代城などとも称されており、
城跡は旭市櫻井字御前を
中心とする場所にあります。
畑の中に、旧干潟町の教育委員会が建てた
案内標があるとのことです。
【伝えられている歴史】
千葉常胤の六男である
東胤頼の最初の居城と言われる城です。
東胤頼は、鎌倉時代のはじめに
東荘33郷を与えられて領有しており、
この頃の居城が桜井城
ということになります。
東胤頼はその後、文治6年(1190年)に
須賀山城を築いて居城を移し、
さらに隣接する
森山城に移っていきました。
なお、桜井城には
東胤頼以前に上代越後守がおり、
この人は東胤頼に桜井城を譲って
同じ東荘の御代城に
移っていったという話もあります。
戦国時代の永禄8年(1565年)、
桜井城は里見義弘の軍勢に攻められました。
この頃の城主は上代胤正という人で、
奮戦しましたが、
多くの郎党たちとともに
討ち死にして落城したとのことです。
スポンサーリンク
【江戸時代】
文禄元年(1592年)、
徳川氏の家臣である松平家忠が
再建して居城しましたが、
のちに松平家忠は
小見川城に封ぜられ、
わずか3年で廃城となったとのころです。
【桜井城の構造】
桜井城は多郭雑形式で、
半島状の台地の先端部に要害郭があります。
付近には、「大門」「家中内」「返堀」
「馬洗」「馬場址」などの地名が残っています。
「大門」が登城口と呼ばれ、
大手口と考えられています。
琴平神社が祀られている
小高い場所が物見台の跡と推定されています。
【交通アクセス】
JR総武本線 干潟駅から旭市コミュニティバス
まんざい保育所前下車
【所在地】
〒289-0504 千葉県旭市櫻井
大友城~千葉氏の祖である平良文の居城と伝わり、平常持、常将、常長、常兼が居城したとのことです。
千葉常胤~桓武平氏の流れをくむ千葉氏の中興の祖~鎌倉幕府成立に大きく貢献した人物です。
本佐倉城~続日本100名城・国指定史跡で千葉氏の最後の拠点、下総の名族から戦国大名となった千葉氏の歴史とは?
森山城~鎌倉時代初期に千葉常胤の子である東胤頼が築城し東氏が居城、常陸国との水運の要地でした。
小見川城~千葉氏の一族である粟飯原氏の居城、現在は小見川城山公園となっています。
大多喜城~築城は真里谷信清、徳川四天王の本多忠勝が城主となり今日の大多喜城となります。
万喜城~築城は上総土岐氏と伝えられており、本多忠勝が一時居城していました。
上総・笹子城~築城は室町時代に真里谷信興によって築かれ、真里谷武田氏の内紛に記されているとのことです。
真里谷城~武田信長が築城し真里谷武田氏の本拠地となった城と云われています。
西願寺 阿弥陀堂(千葉県)~金色に輝いていたことから光堂の別名を持つ重文のお堂です。
平蔵城~築城は室町期に土橋氏による築城とのこと、のちに阿弥陀堂で有名な西願寺も建立しました。
大柳館~代々の上総氏居館との伝承あり、上総広常死去後は千葉氏が拝領しました。
富喜楽城~前方後円墳を取り込んだお城、すぐ近くには大柳館があり、古墳時代から人々の営みがありました。
勝見城~上総広常の弟の金田頼次が築城と伝えられており、戦国期は庁南武田氏の所領となりました。
一宮城(上総国)~築城は南北朝との伝承で戦国期には正木氏の支配下でした。
本納城~里見氏の支城から士気酒井氏が統治した中世山城の遺構が多くある貴重な城址。
大椎城~築城主と築城時期は二通りあり、平安中期の千葉氏と室町期の士気酒井氏となります。
東金城~上総酒井氏の祖とされる酒井定隆が築城し三男の酒井隆敏が継ぎました。
この記事へのコメントはありません。