徳川家臣

渡辺守綱~家康とは同い年で「槍半蔵」と呼ばれ「鬼半蔵」の服部正成と並び称されました。

長篠の戦い



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【渡辺守綱】

渡辺 守綱(わたなべ もりつな)は、
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将です。
徳川氏の家臣。江戸幕府旗本・尾張藩付家老。
三河国寺部城城主で徳川十六神将の一人です。

【生誕】
天文11年(1542年)

【死没】
元和6年4月9日(1620年5月11日)

【別名】
通称:半蔵、忠右衛門
渾名:槍半蔵

【墓所】
興善寺(名古屋市)
守綱寺(豊田市)

【主君
徳川家康⇒義直

【藩】
尾張藩付家老

【氏族】
三河渡辺氏

【父】
渡辺高綱

【母】
渡辺義綱娘

【兄弟】
守綱、政綱

【妻】
平岩親重娘

【子】
重綱、宗綱、成綱、渡辺秀綱室、
三田九郎次郎室、渡辺五右衛門室、
彦坂忠元室

【出自】
三河渡辺氏は、松平氏の譜代家臣で、
平安時代の嵯峨源氏の武将である
渡辺綱の後裔を称し、
系譜の上では、
渡辺綱の次男の筒井久の孫の
渡辺伝の後裔と伝わっています。

【生涯】
三河国額田郡浦部村
(現在の愛知県岡崎市)出身です。
渡辺守綱は、若い頃から同年生まれの
松平家康(のちの徳川家康)に仕えました。
槍が得手であり、永禄5年(1562年)の
三河国八幡の合戦で
今川氏家臣・板倉重貞に敗れた際、
後尾にあって奮戦した事以来「槍半蔵」と呼ばれ、
「鬼半蔵」の服部正成と並び称されました。

三河一向一揆に加わる】
しかし、熱心な一向宗(本願寺)の門徒だったので、
6年の永禄6年(1563年)に勃発した
三河一向一揆において、
蜂屋貞次(半之丞)ら
他の門徒家臣と同じく徳川家康に背き、
一向一揆に加わったのでした。
一揆が徳川家康によって破られると
反逆を許され帰参し、以後は徳川家康の
主要な戦いの大半に参加しました。

【主要な戦いで先鋒を務める】
姉川の戦いでは、旗本一番槍をあげるなどの
戦功を重ね、旗本足軽頭として出陣した
三方ヶ原の戦い長篠の戦い
小牧・長久手の戦いでは先鋒を務めました。
なお、長篠の戦いでは
山本勘助の嫡子である菅助を討ち取っています。

【武蔵国比企郡を与えられる】
天正18年(1590年)、
徳川氏が三河から関東地方に移封されると、
武蔵国比企郡に3000石を与えられました。
慶長5年(1600年)には
長年の功績を賞せられて1000石を加増、
騎馬同心30人の給分6000石を付属させられ、
足軽100人の組頭となりました。




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徳川義直の付家老】
慶長13年(1608年)、
徳川家康の直命によって
尾張藩主に封ぜられた家康の九男である
徳川義直の付家老に転じ、
武蔵の4000石に加えて
尾張国岩作(愛知県長久手市岩作)で
尾張藩より5000石、
三河寺部(豊田市寺部町)で
幕府より5000石を与えられ、
併せて1万4000石を領して
寺部城を居城としました。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、
翌年の慶長20年(1615年)の
大坂夏の陣に出陣して
藩主である徳川義直の初陣を後見しました。
元和2年(1616年)の徳川家康の死後、
領国尾張に入った徳川義直を直に補佐し、
元和6年(1620年)に
名古屋で死去しました。
享年は79歳でした。

のちに、その功績から
徳川家康配下の
徳川十六神将の一人として顕彰されました。

【子孫たち】
子孫は寺部に1万石を領して
尾張藩家老として続き、
嫡男である渡辺重綱の五男の
吉綱に始まる分家は、
和泉国伯太藩(大阪府和泉市)で
1万3000石の大名となりました。
同じく分家には、渡辺守綱の三男である
渡辺図書助宗綱を祖とする大身旗本で、
幕末には田安徳川家および
一橋徳川家の家老を務めた渡辺図書家、
江戸南町奉行を務めた後に
大目付を務めましたが、
後に八丈島に流された旗本の
渡辺大隅守綱貞家、
実弟・渡辺半十郎政綱に始まり、
代々尾張徳川家で年寄等の要職を務めましたが、
明治維新に尾張藩内佐幕派の領袖として
青松葉事件で処刑された
渡辺半十郎(新左衛門)家、
新左衛門家と同じく代々尾張藩の要職を務めた
渡辺守綱三男の源五左衛門成綱に始まる
渡辺半九郎(源五左衛門)家、
紀州徳川家の家老を務めた
渡辺若狭守家および渡辺主水家などがあります。

2023年NHK大河ドラマ
どうする家康」では
木村 昴(きむら すばる)さんが
演じられます。

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