史跡・城跡

フルスト原遺跡~国の史跡で八重山の英雄であるオヤケアカハチの居城跡とも云われてきました。

フルスト原伊関(石垣島))



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【フルスト原遺跡】

フルスト原遺跡(フルストばるいせき)は、
沖縄県石垣市大浜にある遺跡です。
昭和53年(1978年)3月3日に
国の史跡に指定されています。

フルスト原遺跡

【概要】
フルスト原遺跡は、
石垣島南部の大浜地区に位置しています。
宮良湾を望む標高約25m、
丘陵東側の高さ約20mの丘陵上にあり、
史跡としての指定面積は、12.3ha。
周囲に珊瑚性石灰岩(琉球石灰岩)を
野積みした石壁を巡らし、
敷地内には15基の郭状の石塁遺構、
古墓、御嶽跡などが確認されています。
敷地からは、中国製陶磁器や
八重山焼の破片が出土しています。

石塁遺構は、城(グスク)の特徴を
備えているとも考えられていますが、
生活用品が多数出土する一方で、
武器類の出土が現在までに
見当たらないことなどから、
近年の研究では屋敷囲いの
石垣としての性格が強いと
考えられています。

フルスト原遺跡

古くからオヤケアカハチ
城跡であると言い伝えられてきました。
オヤケアカハチは、15世紀に
八重山列島に割拠した豪族のひとりで、
大浜を本拠としていましたが、
1500年に
オヤケアカハチの乱を起こして
琉球王国の尚真王に討伐され、
以後、八重山列島は
琉球王国の支配下に入っています。

フルスト原遺跡を
オヤケアカハチの居城とする
史料は見つかってはいませんが、
オヤケアカハチが住んだとされる
大浜地区には
他に城跡が発見されていません。
琉球王国の歴史書である「球陽」において
オヤケアカハチが
「嶮岨を負い、大海に面して」
陣を構えたとする描写が
フルスト原遺跡に当てはまることから、
その可能性は充分にあると
考えられています。
ただし、近年の発掘で
遺跡の存続年代は
14世紀から16世紀後半とみられており、
この遺跡はオヤケアカハチが活動した
15世紀後半以前から
存在していたことが分かっています。




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【整備中】
フルスト原遺跡の石塁遺構は、
第二次世界大戦中に隣接する
海軍石垣島南飛行場
(通称平得飛行場。後の石垣空港)の
爆弾痕を埋めるために持ち出されたり、
畑に利用されたりする等されていました。
けれども発掘調査で石積みの
基礎部分が確認され、
1992年からの保存修理事業によって、
15基中7基の石積みが復元されました。
また、2016年度から、
崖下にインフォメーション広場(東側)、
駐車場(2022年に訪れた時は見当たらず)、
芝生広場を備えた
広場の整備が行われています。

フルスト原遺跡

石垣空港は、2013年に
新石垣空港の開港に伴い供用廃止され、
跡地の再開発が計画されています。
空港跡地のうち、
この遺跡の南側に隣接する
旧空港北東部は「歴史・文化ゾーン」とされ、
博物館や石垣市伝統工芸館の移転等が
予定されており、
フルスト原遺跡と一体的に
整備することが計画されているとのことです。

【見学可能】
現在、史跡整備の途中ですが、
石積みの様子などは見学することが
できるとのことです。
レンタカーで史跡内まで行けます。
進入路が舗装されていませんので、
見学の際には十分ご注意ください。

<第3号石塁>
フルスト原遺跡 第3号石塁

【交通アクセス】
遺跡北側の幹線道路(市道タナドー線)から
直接車で入ることが可能です。
ただし、進入路が舗装されていないので、
見学の際には注意が必要です。
また入る道も間違えやすく、
気が付けばよそ様の畑に
入ってしまいがちな事もあります。

【所在地】
〒907-0001 沖縄県石垣市大浜フルスト原

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