史跡・城跡

山本勘助晴幸屋敷~隻眼・片足不自由だが摩利支天のようだと称えられた軍師の屋敷跡。

山本勘助春幸屋敷



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【山本勘助晴幸屋敷】

山本勘助晴幸は三河国牛窪出身の牢人で、
諸国を遍歴し兵法や
築城術を会得しましたが、隻眼となり、
片足も不自由になったのでした。
天文5年(1536年)に、
駿河国今川義元に仕官しようとしますが、
実現はしませんでした。
天文12年(1543年)、
山本勘助の噂を聞きつけた板垣信方の推薦で、
武田信玄に召し抱えられ、足軽大将となりました。
戸石城攻防戦などの合戦で、
目覚ましい活躍をし、
武田家中では、
軍神摩利支天のようだと
称えられたとのことです。

山本勘助春幸屋敷

内政、軍略、築城術に関する
武田信玄の諮問に答え、
さまざまな意見を具申する軍師として、
重用されたのでした。
武田信玄の出家とともに剃髪して、
道鬼 斎(どうきさい)と称しました。
山本勘助の築城術は、
後に馬場信春に伝授され、
甲州流、山本勘助道鬼流と
呼称されたということです。
永禄4年(1561年)の川中島の戦いで、
上杉謙信撃滅の秘策として
「啄木鳥の戦法」を進言しましたが失敗し、
責任を痛感して、
戦乱の中に身を投じて戦死しました。

2007年NHK大河ドラマ
「風林火山」の主人公としてその生涯が
ドラマ化されました。

【所在地】
〒400-0014 山梨県甲府市古府中町第2公園

【駐車場】
公園専用の駐車場はありません。

【トイレ】
公園内にあります。

武田信玄~風林火山の軍旗のもとに、戦に明け暮れ駆け抜けていった53年の人生でした。

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

甘利氏館と扇子平山城~甘利氏は甲斐源氏で、戦国時代には武田家臣の譜代家老を務めました。

湯村山城~躑躅ヶ崎館の西の守りの詰めの城として武田信虎が築城しました。

積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。

土屋右衛門昌続とその屋敷跡~武田24将の一人で武田信玄死後3年間遺体を隠した場所とのことです。

土屋惣蔵昌恒~出自は金丸氏で武田家最後の家臣にて忠臣、子供は大名になります。

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