源義経
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大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。
【大弐三位】大弐三位(だいにのさんみ、長保元年(999年)頃?⇒永保2年(1082年)頃?)は、平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の娘で、母は紫式部です。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ…
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檜原城~鎌倉武士の花形の末裔で武蔵七党・西党の一族の平山氏が築城、豊臣方には徹底抗戦しました。
【檜原城】 応永20年(1413年)、当時の鎌倉管領の足利持氏が源平の合戦で花形であった…
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亀井城(川崎 月讀神社)~伝亀井六郎(源義経四天王)の居城、戦国時代には領主は小島佐渡守、古墳もあり。
【亀井城(川崎 月讀神社)】亀井城は、源義経四天王の一人であった亀井六郎(亀井六郎重清)の居…
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川和城跡~源義経の郎党であり、武蔵武士である熊井太郎忠基の名が刻まれた碑があります。
【川和城跡】「新編武蔵国風土記稿」では、川和町にある城根山妙蓮寺は、「川和城塁」の城地に…
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郷御前(里)~父は河越重頼で祖母は比企尼、源義経に寄り添い最期を共にした正妻です。
【里(郷御前)】郷御前(さとごぜん、仁安3年〈1168年〉⇒文治5年閏4月30日〈1189年…
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平知康~後白河法皇からの信任篤き人物でしたが木曾義仲、源義経、源頼家と源氏との相性はイマイチでした。
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静御前~源義経の愛妾、儚い幸せとその後の寂寞たる足跡は今に語り継がれています。
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皆鶴姫の碑~源義経に恋した悲恋の姫の墓、源義経が逃亡中に馬を繋いだ駒繋石・暦応の碑
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武蔵坊弁慶~紀伊国出身の荒法師だったが源義経の郎党となり、多くの創作や伝説を生んだ人物。
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白幡神社(藤沢)・源義経首洗塚・伝義経首洗い井戸・弁慶塚、旧藤沢宿の源義経にまつわる史跡