三方ヶ原の戦い
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千石墻の砦~小幡信真の配下であった浅香播磨守重明が秩父地方の攻略時に築いた砦とのことです。
【千石墻の砦】千石墻の砦は、国民宿舎ヴィラせせらぎの北東800mほどの所にある、比高140mほどの山稜上に築かれていました。神流川が南東側に湾曲するところに半島状に突き出した地形で、周囲に岩肌がむき出しとなってい…
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武田勝頼~甲斐源氏・戦国大名としての甲斐武田氏最後の当主、素質と環境が合わず悲劇が訪れます。
【武田勝頼】武田 勝頼(たけだ かつより) / 諏訪 勝頼(すわ かつより)は、戦国時代から…
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武田信玄~風林火山の軍旗のもとに、戦に明け暮れ駆け抜けていった53年の人生でした。
【武田信玄】武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時…
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山県(飯富)昌景~武田家重臣の筆頭格で部隊の軍装「赤備え」が有名です。
【山県(飯富)昌景】山県 昌景/山縣 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代…
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渡辺守綱~家康とは同い年で「槍半蔵」と呼ばれ「鬼半蔵」の服部正成と並び称されました。
【渡辺守綱】渡辺 守綱(わたなべ もりつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将です。…
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夏目広次(吉信)~三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなり戦死、夏目漱石のご先祖様でもあります。
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本多忠真~本多忠勝の叔父で甥の本多忠勝を最強の武士に育て上げ、三方ヶ原の戦いで散ります。
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三方ヶ原(三方原)古戦場~徳川家康の生涯において「伊賀越え」と並ぶ人生の危機となった戦です。