藤原北家
-
那須神田城~那須氏最初期の居城であり、那須与一宗隆の生誕の地とされています。
【那須神田城】 那須神田城は源義経に従い、屋島合戦で扇の的を射抜いた弓の名人として知られる那須与一宗隆の生誕の地とされる城(居館)です。那須氏の祖とされる首藤権守貞信によって築かれた、那須氏最初期の居城で、…
-
藤原道綱~藤原道長の異母兄で母は「蜻蛉日記」の作者、おっとりとした性格で才に恵まれず。
【藤原道綱】藤原 道綱(ふじわら の みちつな)は、平安時代中期の公卿・歌人でした。藤原…
-
円融天皇~政治に関与し兼家と疎隔・対立するも、藤原詮子との間に後の一条天皇が誕生します。
【円融天皇】円融天皇(えんゆうてんのう、旧字体: 圓融天皇、天徳3年3月2日(959年4月1…
-
藤原頼通~藤原氏の栄華の象徴である平等院鳳凰堂を造営、摂関政治から院政と武士が台頭する時代へ。
【藤原頼通】藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人…
-
藤原行成~世尊寺流の祖、実務に高い能力を発揮し人徳高く当代の能書家として後世「権蹟」と称されました。
【藤原行成】藤原 行成(ふじわら の ゆきなり/こうぜい)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、…
-
藤原斉信~藤原道長の従兄弟で当初は道隆に仕えるも後に道長の腹心へ、清少納言との交流があり「枕草子」に登場します。
-
藤原穆子~源倫子の母親で藤原道長の才能を見抜き結婚を勧めた女性で紫式部とは遠縁です。
-
ちやは(藤原為信の娘)~紫式部の生母、藤原為時との間に一男二女を授かりますが若くして亡くなります。
-
藤原為時~漢詩の才能に長け、人格形成で紫式部に影響を与えたとされており、子らに先立たれる。
-
藤原時姫~藤原兼家の妻で藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子の生母、一条・三条両天皇の祖母です。