城跡

横地城跡・横地氏城館群として~初代は八幡太郎義家の庶子~「横地」様の発祥の地 国の指定史跡で桜の名所です。

横地城跡



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横地城跡】

横地城(よこちじょう/よこじじょう)は、
静岡県菊川市東横地にある日本の城跡です。
なお、現在の地名表記は「よこじ」ですが、
城主の氏族名などの表記は「よこち」です。

<案内図>
横地城跡 案内図

別名は金寿城とも。
城跡は2004年(平成16年)9月30日に
「菊川城館遺跡群」の一部として
国の史跡に指定されました。
なお、菊川城館遺跡群は
菊川城館遺跡群は、静岡県の南西部に位置し、
菊川流域の
高田大屋敷遺跡と
横地氏城館群で構成されており、
横地城跡は横地氏城館群に属しています。
現在は桜の名所としても有名で、
500本ほどあるそうです。

【城の構成】
横地城は東の城(本丸)・中の城・西の城(二の丸)と
3つの城が山の尾根に沿って並ぶ
「一城別郭」の城です。
室町時代の遠江国有力国人であった
横地氏の本城として築かれた山城となります。
山頂を中心に「東の城」、「中の城」、「西の城」を構え
土塁や堀切、曲輪などを配し、
築造当時の面影を残している城跡として知られています。

【別名】
金寿城
【築城主】
横地太郎家長
【築城年】
室町時代初頭とされています。
元々は平安時代末期との説もあります。

【主な城主】
横地氏

【廃城年】
文明8年(1476年)?
永正3年(1506年)

【遺構】
曲輪、土塁、空堀、井戸

【指定文化財】
国の史跡(菊川城館遺跡群)
2004年(平成16年)9月30日

【横地城の歴史】
古くから当地を本領としていた横地氏。
「吾妻鏡」などにも登場しています。
保元の乱に源義朝に従ったとのことです。
源平の内乱期には、
源義朝の子である源頼朝に従いました。
鎌倉幕府成立後には御家人として、
室町時代には奉公衆として
幕府に仕えた名族でした。
横地氏によって築かれた年代は
室町時代初期とされていますが、
詳細はまだ判明せず、
15世紀半ば頃とも、もっとさかのぼって
平安時代後期とも考えられています。

【「横地」様の発祥の地】
そして横地氏は全国の
横地様のルーツであるといわれています。

【地理地形】
牧ノ原台地から西側の菊川水系の平野部に伸びる
丘陵上および谷地形を利用して造られています。
その規模は
東西400メートル×南北450メートルであるとのことです。

横地氏城館跡は、牧の原台地の南西端に位置しています。
菊川水系の小河川沿いの谷部と丘陵部に営まれた、
横地氏本拠地であった中世遺跡群です。

【現在進行形の発掘調査】
菊川町教育委員会が昭和62年度から
平成15年度に発掘調査及び
民俗学、城郭史、石造物等の総合調査を実施しています。
城館跡は、五郎兵衛地区、殿ヶ谷地区、中上地区、大上地区、
横地城跡の5地区に分かれています。
東西約2キロメートル、
南北約0.6キロメートルの範囲に及んでいます。
現在も発掘調査が進められているそうです。
また周辺一帯は
御前崎遠州灘県立自然公園に指定されています。

横地城址(案内板より)

【今川氏に攻められる】
駿河守護であった今川義忠と
遠江守護斯波義廉の対立に際し、
同族の勝間田氏と共に斯波氏方について挙兵しました。
けれども、今川義忠に攻められました。
この時の合戦で横地城は落城したとされていますが、
激戦に耐え抜いたとも言われています。
この時の13代当主であった
横地太郎長秀(1434年⇒1494年)は生き延び、
晩年は出家したとのことです。




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【伊勢盛時(北条早雲)に攻められる】
伊勢盛時(北条早雲)が明応3年(1493年)に
横地・勝間田の地を攻めているので
まだこの時は横地城は存続していた可能性があります。

【横地城の最期】
永正3年(1506年)、
今川義忠の子である今川氏親が攻めてきました。
この時の横地城の当主は14代である横地太郎秀国でした。

父親である今川義忠の時に落城できず、
あげくに夜襲された恨みもあったのか、
今川氏親は策を巡らしたとされています。
城主の娘であった千寿姫は、
捕えられる前に自ら命を絶ったとされています。
その場所はかつては姫池と呼ばれていたとも。

勝間田城もこの時に落城したとも言われれています。
横地の将兵たちも多くは討ち死にしたとされています。

横地城跡(東御堂谷)

当主の横地秀国も斯波氏に従い、転戦していましたが、
討ち死にしたとのことです。
享年は42歳でした。

当主を失った横地城もやがて落城したとのことです。
火の手に包まれて、その焼ける炎から
「赤坂」という地名がつけられた地域もあったそうです。
そして昭和の初めころまで、米蔵の跡の場所を掘ると
黒焦げのお米が出てきた、とのことです。

【最期の横地氏の当主】
横地氏の最後の当主は、
15代横地太郎元国(1505年⇒1554年)です。
甲斐源氏である武田信虎を頼ったと言われています。
けれども再興はならずに50歳で他界したとの事です。

【住所】
〒439-0022 菊川市東横地
電話
0537-73-1137 (菊川市社会教育課)
【交通アクセス・車】
東名菊川I.Cより約10分
【駐車場】
30台(無料)

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