【土岐高山城】
土岐高山城(ときたかやまじょう)は承久の乱の頃に
土岐氏一族である高山伊賀守秀頼により
築城されたそうです。
美濃国の中枢となった浅野館、
大富の居館を守備する要塞として
重要な役割を果たしました。
【所在地】
岐阜県土岐市土岐津町高山454−1
【土岐高山城跡の森】
土岐高山城跡は
この「土岐高山城跡の森」に
位置しています。
「高山城高山宿史跡保存会」の方々が
イベントや案内板の設置、
史跡の整備や自然保護などの活動に
取り組んでいます。
「土岐高山城跡の森」自体は
岐阜県が環境保全モデル林として
整備し、平成28年7月に、
土岐市へ移管されたみんなの里山です。
「歴史的観光資源」と「森の自然」を活かした
着地型観光資源として、
そして子どもたちへの
自然環境教育プログラムを提供する里山、
ということです。
【高山の地名】
飛騨高山の高山市ではなく、
同じ岐阜県の土岐市にある地区の名称です。
土岐市の高山地区は、
土岐川の南岸から土
岐市中央丘陵につながる平地
および丘陵地に立地しています。
かつて日本の地方行政区分だった令制国では、
土岐市高山地区は「美濃国」で
高山市は「飛騨国」となります。
【立地】
土岐高山城は、土岐川の氾濫原を見下ろす
標高183メートルの細長い丘陵にあります。
麓からの比高差はおよそ57メートルで、
通称サバと呼ばれる砂岩層の断崖上に築かれています。
【構造】
現在は水道貯水池があり、
当時の構造は残念ながら知ることはできません。
三つの曲輪によって構成されていたとされ、
北端や南端に曲輪の名残をとどめております。
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【城の歴史】
【土岐氏の起こり】
摂津源氏の源頼光の子である源頼国の子孫が
美濃土岐郡に土着しました。
居館(大富館、一日市場館など)を構えて
土岐氏を称したのが始まりとされています。
美濃に進出した美濃源氏は、
源光信が平安時代に大富館(泉)を構えた後、
源光衡が一日市場館(瑞浪市)、
源光行が承久の乱(1221年)の頃に
浅野館(肥田)を建て、
京都の朝廷と鎌倉幕府の双方と
深い関わりを持ちながら
美濃国の統治に力を注ぎました。
美濃国土岐郡に基盤を持った美濃源氏は
土岐氏と呼称されるようになりました。
【室町時代】
室町幕府成立とともに
源光行の孫、源頼貞(土岐頼貞)が
美濃国守護に任命され、
高山氏は土岐氏と共に室町幕府に仕えました。
土岐頼貞の子である土岐頼遠は、
居館を土岐郡大富から
厚見郡(今日の岐阜市)長森に移し、
その甥である土岐頼康は厚見郡川手に城を築き、
美濃、尾張、伊勢三国の守護職となりました。
以後土岐氏は戦国時代を迎えるまで
200年近く隆盛を誇ります。
【戦国時代の土岐高山城】
【城主は平井氏へ】
弘治2年(1556年)、
末代の高山伊賀守光俊没後、
甲斐の武田信玄の命を受けた
平井光行と平井頼母親子が
高山へ兵を進め城主となりました。
武田勢と織田勢が対峙する中で、
武田側に父である平井光行を亡き者にされた
平井頼母は織田信長の臣下となり、
織田信長の支援を受けて
土岐高山城を強固な要塞と成し、
700名の兵によって
武田軍の侵攻に備えたとされています。
【武田氏勝頼との戦】
天正2年(1574年)、
武田信玄の嫡子の武田勝頼は、
1万2千の兵をもって「美濃攻め」を行い、
土岐高山城においても激しい合戦となったそうです。
江戸時代になって犠牲者を供養するため、
武田信玄の4代の孫にあたる雲峰元沖により
古城山慈光院(黄檗宗)が開創され、
その後真言宗の弘法様(現在の穴弘法)
として人々の信仰を集めました。
【甲斐武田氏滅ぶ】
天正8年(1580年)、
平井頼母の二女である松姫は、
苗木遠山友政(後に初代苗木藩藩主)に嫁ぎます。
平井頼母は天正10年(1582年)に
織田信長の3万の軍勢と共に
高遠城を攻め落とし
武田家を滅ぼしました。
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【織田信長死す】
けれども同年6月に発生した
本能寺の変によって
美濃一帯は再び動乱の嵐に見舞われます。
織田信長亡き後、
美濃の国衆達は、
織田家臣の森長可に対して、
ほぼ反旗を翻し、平井頼母も同様でした。
森長可の使者より、
城を明け渡すよう要求されたものの、
平井頼母がこれに応じることはなく、
攻めて自刃に追いこみ、
その後、森長可の家臣の肥田氏を
入城させたとあります。
【廃城へ】
関ヶ原の合戦の後、
元和元年(1615年)、
一国一城令により高山城は廃城となりました。
【交通アクセス】
【電車】
JR中央本線「土岐」駅 徒歩15~20分程度
【車】
<中央自動車道>
土岐ICより車で5分程度
<東海環状自動車道>
土岐多治見ICより車で7分程度
<場所>
青印は駐車スペースがある三の曲輪跡辺り。
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