【了仙寺】
了仙寺(りょうせんじ)は、
静岡県下田市(七軒町)3丁目にある日蓮宗の寺です。
山号は法順山。旧本山は身延山久遠寺です。
寛文12年(1635年)の創建で、
開山は行学院日朝、
開基は下田奉行今村正長です。
日米和親条約の付属条約、
下田条約が締結された場としても知られています。
寺は下田条約締結の地として、
国の史跡に指定されています。
境内から参道にかけて
無数のアメリカジャスミンが植樹されており、
「ジャスミン寺」の別名も持っています。
なおアメリカジャスミンは、
ニオイバンマツリ
(匂蕃茉莉、Brunfelsia australis)
の別名で、モクセイ科のジャスミンとは異なり
ナス科となります。
満開は5月頃、とのことです。
境内には宝物館が隣接しています。
<五輪塔三基(下田市指定史跡)>
境内墓地入口に建つ三基の五輪塔は、
それぞれ第二代下田奉行今村正長、
同四代今村正成、
同五代今村正信の墓で、
江戸時代初期の物です。
なお五輪塔脇に立つ小さい墓は
今村正長妻のものとされています。
<横穴遺跡(了仙寺洞窟遺跡)>
自然洞窟を利用した
古墳時代後期の埋葬施設です。
現在までに防空壕・物置き場などとして
利用されてきた関係で洞窟の形状は
大きく損なわれており、
かつては奥壁がありましたが、
現在は貫通しています。
洞窟内からは同時期の古墳・横穴墓と
同様の副葬品として、
人骨のほか有鉤銅釧・耳環・
玉類(勾玉・管玉・丸玉・水晶製切子玉・
臼玉・ガラス製小玉)・須恵器・土師器が出土しており、
6世紀後葉・7世紀初頭-後半・8世紀の
各時期の埋葬と推定されています。
特に有鉤銅釧は一般に
弥生時代に見られる遺物であり、
埋葬時点まで伝世品として
受け継がれたものとして注目されています。
伊豆地方では古墳が少なく、
辰ヶ口岩陰遺跡(西伊豆町)・
波来洞穴(河津町)とともに
古墳時代の伊豆半島南部の特徴を示すとして
重要視されている遺跡となります。
なお、出土品は
ハーバーミュージアム(道の駅開国下田みなと内)
で展示されています。
【MoBS黒船ミュージアム】
境内に隣接した所に
了仙寺の宝物館が設置されています。
了仙寺関連文書をはじめ、
ペリー・黒船・異文化交流をテーマとした
黒船・異文化交流関連史料、
性と宗教との関わりをテーマにした
「秘仏コレクション」などが展示されていました。
2016年にMoBS黒船ミュージアムとして
リニューアルされました。
「日本人から見た外国・外国人から見た日本」
をテーマに16世紀から
19世紀の資料が収蔵・展示されています。
<了仙寺関連文書>
徳川歴代将軍が
了仙寺へ発給した朱印状、
武田信玄の家督譲状などの
古文書了仙寺関連史料を集めたものです。
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<黒船・異文化交流関連史料>
黒船やペリー、
ハリスなどに関連する絵巻・
図画・書籍や、吉田松陰・
ジョン万次郎等の書、
16世紀から19世紀にかけ
外国で描かれた日本地図や
日本で描かれた世界地図、
日本に関する書籍や
ジャーナル・図画、ポンチ絵など
明治期の異文化交流関連史料などを集めた
3000点の資料集です。
エピソード
江戸時代、黒船来航により
日米和親条約が締結され
下田が開港したのち、
了仙寺はアメリカ人の休憩所のひとつでした。
【所在地】
〒415-0023
静岡県 下田市 3丁目12-12
【営業時間】
午前8時30分~午後5時
【交通アクセス】
(新幹線を利用する場合)
⇒熱海⇒伊豆急下田駅から徒歩10分程度
(車)
東名高速道路「沼津」IC⇒伊豆縦貫道⇒
国道414⇒下田
新東名高速道路「長泉沼津」IC⇒伊豆縦貫道⇒
国道414号下田
【駐車場】
あります。
普通車:30台
【大型バス駐車場】
あり
大型バス:6台
所要時間:15分程度(参拝のみ)
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