【下田城跡】
下田城(しもだじょう)は
静岡県に存在した日本の城(海城)です。
戦国時代末期の小田原北条氏の水軍の拠点でした。
1588年に北条氏直によって築城されました。
【別名】
鵜嶋城
【城郭構造】
海城
【標高(比高)】
60m(60m)
【天守構造】
天守台と伝わる郭有り
【築城主】
小田原北条氏
【築城年】
不明
【主な城主】
小田原北条氏、
清水康英、
戸田氏
【廃城年】
江戸時代
【遺構】
空掘、堀切、障子堀、土塁、郭
【立地及び構造】
現在の静岡県下田市にある、
下田港の湾口を扼する西側の岬全体が城地でした。
直径800mの円内に複数の入江が
点在する天然の地形を利用し、
曲輪が配置されていました。
本丸は東西12m・南北30mの平場で、
本丸の北側に2段の
天守曲輪があったとされています。
最南端のお茶ケ崎に物見櫓があり、
直下の和歌の浦が船溜りとされていました。
【下田城の歴史】
小田原北条氏は当城を小田原水軍の根拠地とし、
玉縄衆の朝比奈孫太郎が入っていました。
やがて豊臣秀吉との関係が悪化すると
伊豆衆の清水康英を城将として、
豊臣軍の来襲に備えて改修されました。
天正18年(1590年)に
豊臣側の長宗我部元親、
九鬼嘉隆、脇坂安治、加藤嘉明らの率いる
一万以上の水軍が来襲し、
康英は手兵600余で
約50日にわたって籠城した後に
開城となりました。
小田原北条氏の滅亡後は
徳川家康の家臣である戸田忠次が
下田5000石を治め、当城主となりました。
戸田忠次の子である戸田尊次は
慶長6年(1601年)に
三河国の田原城へ転封となり、
以後は江戸幕府の直轄領として
下田町奉行が支配し、廃城となりました。
【下田城の現在】
城址は下田公園となっています。
小田原北条の障子堀が
直に見られる数少ない城の一つです。
春にはツツジ、
初夏には300万輪もの紫陽花、
冬には椿が満開となります。
小高い丘の上にあり、下田港が一望できます。
開国記念碑や下岡蓮杖の碑などがあります。
また道の駅「開国下田みなと」に
下田城の模型が展示されています。
道の駅「開国下田みなと」
【所在地】
所在地: 〒415-0000 静岡県下田市外ケ岡1−1
【交通アクセス】
(電車)
伊豆急下田駅より徒歩20分程度。
(車)
東名高速道路「沼津」IC⇒120分程度。
新東名高速道路「長泉沼津」IC⇒120分程度。
【駐車場】
無料の駐車場があります。
但し、イベント時には規制がある場合が有ります。
【下田城址(下田公園)所在地】
所在地: 〒415-0023 静岡県下田市三丁目22
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