城跡

会津・北田城跡~三浦一族・佐原盛蓮の次男の佐原広盛が築城し、北田氏を名乗り7代続きました。

北田城址(会津)



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【北田城】

北田城(きただじょう)は
福島県河沼郡湯川村にあった日本の城です。

【構造形態】
平城
【築城主】
佐原広盛

【築城年】
鎌倉時代初期

【主な城主】
北田氏

【廃城年】
応永9年(1416年)

【遺構】
土塁の一部

北田城址(会津) 土塁の一部
本丸の一部(西南部分)の土塁とのことです。
補強してあるそうです。

【北田城の歴史】
鎌倉時代初期に三浦一族
佐原十郎義連の孫で、
佐原盛連の次男である
佐原次郎広盛によって
建久4年(1193年)に
築かれたと云われています。
佐原次郎広盛は北田氏を名乗りました。、
なお、北田広盛の兄である猪苗代経連は
猪苗代氏の祖であり、
弟の蘆名光盛は蘆名氏の祖です。
北田(佐原)広盛の後、
泰盛、盛広、重忠、正国、正隆、政泰
と七代続いたとのことです。

北田城址(会津)と看板

応永9年(1402年)、
北田氏は同じ蘆名氏一族で、
新宮庄(現在の喜多方市一帯)地頭の
新宮城主である新宮盛俊と結んで
黒川城の蘆名氏に反旗を翻し、
そのため応永16年(1409年)6月、
北田城は蘆名氏によって攻め落とされ、
城主・大庭政泰(北田上総介)父子らは討死し、
北田氏は滅亡となりました。

北田城址(会津)案内図

【構造】
城は東に湯川、西に阿賀川、北に日橋川と
三方を川で囲まれている段丘上にある平城です。
主郭が東西110m、
南北120m、
外郭が東西220m、
南北210mと広大な広さを持っていました。

北田城址想定図(会津)

現在は周囲一面圃場整備により
水田と化していますが、
本丸の土塁の一部が残され、
そこに標柱と案内板が設置されています。

【所在地】
〒969-3552 福島県河沼郡湯川村三川 字 大館

塩川駅南の県道127号線を道なりに進むと
会津縦貫北道路を潜り、
大きく左に曲がって日橋川を渡ります。
県道の南東側に塚のようなものがあり、それが土塁です。
県道から農道が案内板まで付いています。

駐車場はありませんが、
撮影程度の短時間ならば
「北田城址」の傍に停車できます。
但し、田んぼの中なので、
出来れば稲の刈入れ後に訪れるのが
よろしいかと思います。

佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの武勇で有名、会津・蘆名氏の祖です。

会津若松城(鶴ヶ城)~日本100名城、蘆名氏が築城、伊達・上杉・蒲生・加藤・保科・松平と続いた天下の名城。

猪苗代城 ~三浦一族で蘆名氏と同族の猪苗代氏が築城し約400年間支配、江戸時代は会津藩の重要拠点でした。

会津新宮城跡~三浦一族の佐原盛蓮の六男である新宮氏が築城、国の史跡です。

藤倉舘~三浦一族の佐原盛蓮の三男・藤倉盛義の居館と伝えられています。

三浦義明と衣笠城合戦~長老は自らの命を盾に三浦一族の未来を守りました。

三浦義澄~源頼朝を支えた宿老の一人で13人の合議制のメンバーで相模守護。三浦一族の栄枯盛衰。

矢部禅尼~三浦義村の娘で北条泰時の正室、子供達は相模三浦氏や戦国大名の蘆名氏につながる。

芦名城~戦国大名・蘆名氏の発祥の地であり、三浦一族の本拠地である衣笠城の支城でした。

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