江戸時代

武州檜原村口留番所跡の木戸~江戸時代に「甲州中道」の大切な場所の為に設置されました。

口留番所跡 木戸 (檜原村)



スポンサーリンク



【武州檜原村口留番所跡の木戸】

江戸から甲州に通じる道はいくつかありましたが、
檜原村の浅間尾根を通り
小河内から甲州に通じる道は
平安時代から開けており、
甲州中道」と呼ばれていました。

口留番所跡 木戸
(檜原村)説明

元和9年(1623年)、
3代将軍である徳川家光が
征夷大将軍に任ぜられて上洛する時に、
江戸警護のために設置されました。
その位置が村へ出入りするには、
人間の口が咽喉のように
大切な場所であったために
「口留の番所」と呼ばれたとのことです。

建物を設置したのは
寛永8年(1631年)ですが、
この年は徳川家光の弟である忠長が、
甲斐の国(甲府市)に捕えられ
牢屋に入れられたので、
その家臣の動きを心配した処置でありました。

寛永8年当時の頃は、
村民や近郷の人の他は
一切の往来が禁じられていました。
が、時代が下ると掟がゆるみ、
江戸や甲州への通行が許可されました。
けれども国の内外が乱れ、
騒動がおきた時は、
往来の取り締まりは厳しく
規制されたのでした。

番所は慶応3年(1867年)までの
245年間存続しました。
設備は
(1)
木戸(許可された通行人が通る所)
(2)
番屋(関守りの居る所)
(3)
高札場(役所の通達を掲示する所)
(4)
桝形(木戸を通る人が順番待ちする所)
がありました。

平成5年9月の
役場庁舎の建設に伴い、
役場横に復元された木戸となります。
口留番所跡 木戸
(檜原村)

【駐車場】
檜原村役場駐車場

【交通アクセス】
(電車)
JR五日市線「武蔵五日市」駅から
西東京バス「数馬行き」に乗り
「本宿役場前」バス停下車すぐ
(檜原村役場横)

(車)
中央自動車道「八王子」ICから約25分

檜原城~鎌倉武士の花形の末裔で武蔵七党・西党の一族の平山氏が築城、豊臣方には徹底抗戦しました。

関連記事

  1. 岸信周・岸信房 岸信周・岸信房父子~中濃衆~妻も勇猛で往年の女武将の如く・堂洞城…
  2. キトラ古墳 キトラ古墳~国の特別史跡で壁画は国宝となっており、天井には東アジ…
  3. 常栄寺 ぼたもち寺 常栄寺(鎌倉)通称は牡丹餅寺、むかし源頼朝が「千羽鶴の放生会」を…
  4. 五所八幡宮(中村荘司御殿跡付近) 中村宗平~中村党の祖で源頼朝を支えてきた武士団で、鎌倉党とは大庭…
  5. 梶原景時一之宮館跡 梶原景時一之宮館跡(寒川)、鎌倉幕府の重臣である梶原景時の最初と…
  6. 曹洞宗 清涼山 光鏡院 光鏡院~瀬名一族の発祥の地であり今川(瀬名)一秀公の墓があります…
  7. 戸定邸 戸定邸・戸定が丘歴史公園~富士見百景~戸定邸は重要文化財で庭園は…
  8. 日枝神社 星ヶ丘城跡 星ヶ丘城~扇谷上杉氏が築城したとされている伝説及び幻の城、日枝神…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 益子古城と益子城~宇都宮氏の家臣である 益子氏の居城でした。 益子古城

ピックアップ記事

  1. 八王子城 ガイダンス施設内
  2. 大浜陣屋(羽城)
  3. 金ケ崎城 小道
  4. 金山城址・石碑
  5. 腰越城(比企郡小川町腰越)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP