【井田城】
井田城(いだじょう)は、
愛知県岡崎市井田町にあった日本の城です。
徳川家康家臣で
徳川四天王の酒井忠次出生の城です。
意だ城跡は岡崎市が管理する
井田公園運動場のある井田公園の東に位置しています。
【地理地形】
矢作川沖積平野をのぞむ
台地縁辺に立地しています。
岡崎城の北方2kmの地点にあり
その防衛拠点のひとつでした。
現在は城山公園となり
公園内に城山稲荷と城山集会所があります。
城跡が高台になっています。
「井田城址」碑が立っています。
形態は平城です。
【井田城の歴史】
松平氏・徳川氏の始祖とされている
松平親氏の子とされる
酒井広親の子の氏忠から
忠勝・康忠・忠親さらに
忠次までの酒井氏五代の居城となりました。
築城年や廃城年は不明です。
酒井忠次は大永7年(1527年)
井田城内で出生しました。
天文4年(1535年)の森山崩れの後、
尾張の織田信秀が井田野へ攻め込んだ時、
酒井忠次は井田城から
尾張勢を迎え討つため出陣しました。
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【遺構】
遺構は主郭跡と思われる平場のみで
ほとんどありません。
井田野の図(「家山樵談」)、
井田城絵図(「三河聰視録」)
でかつての姿をうかがうことができます。
主要部は空堀と土塁に
囲まれた方形で屋敷の形態を残しています。
しかし東方に二の丸、
南方に城下集落があったようで、
戦国期の城郭として
整えられたと考えられています。
近くの居屋敷など周辺にも
酒井一族がいたと見られています。
【酒井氏の系譜】
酒井氏は、その祖先を遡ると
松平氏の祖である松平親氏と
兄弟と言われ(婚姻関係での兄弟とも言われる)、
更には安祥譜代と呼ばれる
松平家中における最古参の宿老であり、
酒井忠次も松平氏とは深い血縁関係にあります。
更に酒井忠次の正室は徳川家康の祖父である
松平清康とその夫人である
於富の方の間の娘の碓井姫です。
於富の方は松平清康の正室となる前は
水野忠政の正室であり、
徳川家康の母である
於大の方の実母であるから、
酒井忠次は家康にとっては
父母双方の妹の夫、
義理の叔父ということになるのです。
この碓井姫との間に
酒井家次、本多康俊といった子が生まれています。
特に家督を相続した酒井家次は
下総臼井藩3万石から
越後高田藩10万石となり、
子孫は最終的に
出羽庄内藩17万石と
譜代屈指の大身として重きを成したのでした。
また、この他に庶流が出羽において
3藩を立藩しています。
また、伊奈本多氏を継いだ
本多康俊の系譜も幕末まで続いています。
【交通アクセス】
(電車)
愛知環状鉄道・北岡崎駅から徒歩約14分程度
(車)
東名高速道路「岡崎IC」から15分程度
【駐車場】
井田公園駐車場
【所在地】
〒444-0076 愛知県岡崎市井田町城山
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