紫式部
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大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。
【大弐三位】大弐三位(だいにのさんみ、長保元年(999年)頃?⇒永保2年(1082年)頃?)は、平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の娘で、母は紫式部です。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ…
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藤原頼通~藤原氏の栄華の象徴である平等院鳳凰堂を造営、摂関政治から院政と武士が台頭する時代へ。
【藤原頼通】藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人…
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伊勢大輔~「小倉百人一首」にもある「いにしへの」の歌が有名な平安時代の女流歌人です。
【伊勢大輔】伊勢大輔(いせのたいふ / いせのおおすけ、永祚元年〈989年〉?⇒康平3年〈1…
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赤染衛門~理知的で優美な諷詠の女流歌人、おしどり夫婦であり良き妻良き母、「栄花物語」正編の作者とも。
【赤染衛門】赤染衛門(あかぞめえもん、天暦10年(956年)頃?⇒長久2年(1041年)…
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和泉式部~和歌の才能にあふれた恋多き自由奔放な女性、娘への哀傷歌が有名です。
【和泉式部】和泉 式部(いずみ しきぶ、天元元年〈978年〉頃⇒没年不詳)は、平安時代中期の…
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藤原彰子~真面目で努力家で控えめな少女は成長して国母となり政治力を発揮し「賢后」となりました。
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藤原穆子~源倫子の母親で藤原道長の才能を見抜き結婚を勧めた女性で紫式部とは遠縁です。
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源倫子~6人の子供に恵まれ、夫である藤原道長の外戚政権を 実質的に完成させた女性です。
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藤原宣孝~性格も女性関係も華やかで20歳以上も年上であった紫式部の夫。
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ちやは(藤原為信の娘)~紫式部の生母、藤原為時との間に一男二女を授かりますが若くして亡くなります。