享徳の乱
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赤見城~藤姓足利氏である足利俊綱が平安時代末期に築城、戦国期は赤見氏の城で400年の歴史があります。
【赤見城】赤見城跡は、赤見町(町屋)に所在する平城跡です。「野州安蘇郡根古屋唐沢丑ケ城東西南北目付」(唐沢山神社文書)によりますと、城の規模は東西約450m、南北約360mに及び、さらに複数の曲輪が築かれていた様子が…
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小栗城~坂東平氏の流れをくむ常陸小栗氏が築城、室町期の関東地方の激動の渦にのまれていきました。
【小栗城】小栗城(おぐりじょう)は、茨城県筑西市小栗(かつての常陸国)にあった日本の城(…
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太田道灌~扇谷上杉氏の家宰で多彩で非凡な才能故に主君に疎まれ暗殺された悲劇の武将。
【太田 道灌】太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期に関東地方で活躍した武将です。…
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増上寺~創建は室町時代で徳川将軍家の菩提寺、本堂と東京タワーが1枚に収まります。
【増上寺】増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の仏教寺院です。…
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足利公方邸跡(鎌倉)、鎌倉時代初期に足利義兼が構えた屋敷は足利尊氏も住みやがて激動の室町時代を迎えます。
【足利公方邸跡(鎌倉)】その昔、六浦道と呼ばれ鎌倉を支えた要港である六浦港と鎌倉中心部を…