鎌倉殿の13人
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伏見広綱~源頼朝の有能な右筆、のハズが頼朝の兄嫁への恋文の使いと亀の前を匿って遠江に流罪となりました。
【伏見広綱】伏見 広綱(ふしみ ひろつな)は、平安時代末期の人物です。源頼朝の右筆でした。伏見冠者藤原広綱と呼ばれていました。なお、右筆(ゆうひつ)とは、貴人のそばに仕える書記、また後世の武家で、文書や記録をつか…
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由比若宮(元八幡)、河内源氏の源頼義が前九年の役の勝利で勧請したお社です。
【由比若宮(元鶴岡八幡宮)】平安時代に河内源氏である源頼義が前九年の役の帰途、勝ち戦に感謝す…
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北条氏常盤亭跡と北条政村について~鎌倉幕府第7代執権、連署も務め北条得宗家を支えた人物。
【北条氏常盤亭跡】北条氏常盤亭跡(ほうじょうしときわていあと)は神奈川県鎌倉市常盤(深沢地域…
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勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。
【勝長寿院跡】勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にあたる相模国鎌倉…
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武蔵坊弁慶~紀伊国出身の荒法師だったが源義経の郎党となり、多くの創作や伝説を生んだ人物。
【武蔵坊弁慶】武蔵坊 弁慶(むさしぼう べんけい、武藏坊 辨慶、?- 文治5年閏4月30日〈…
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白幡神社(藤沢)・源義経首洗塚・伝義経首洗い井戸・弁慶塚、旧藤沢宿の源義経にまつわる史跡
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梶原景時一之宮館跡(寒川)、鎌倉幕府の重臣である梶原景時の最初と最後の住まいでした。
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天野遠景~工藤氏の一族で天野氏の祖~初代の鎮西奉行に就任。子孫が各地で根付き繁栄します。
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天野政景、承久の乱で活躍し、遠江・武蔵・安芸国・信濃国等の各地に多くの所領を得ます。
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比企能員の妻~「鎌倉殿の13人」では道、渋河氏、三浦氏と比企氏、そして源氏との深い関係と安房国