投稿者の記事一覧
-
武州檜原村口留番所跡の木戸~江戸時代に「甲州中道」の大切な場所の為に設置されました。
【武州檜原村口留番所跡の木戸】江戸から甲州に通じる道はいくつかありましたが、檜原村の浅間尾根を通り小河内から甲州に通じる道は平安時代から開けており、「甲州中道」と呼ばれていました。元和9年(1623年)、…
-
檜原城~鎌倉武士の花形の末裔で武蔵七党・西党の一族の平山氏が築城、豊臣方には徹底抗戦しました。
【檜原城】 応永20年(1413年)、当時の鎌倉管領の足利持氏が源平の合戦で花形であった…
-
武蔵・戸倉城~築城は小宮氏で後に八王子城の支城として大石定久の隠居地の一つと伝わります。
【武蔵・戸倉城】 戸倉城(とくらじょう)は、武蔵国多摩郡西戸倉城山(東京都あきる野市)…
-
網代城~戸倉城と高月城を結ぶ 烽火台として築城された支城の可能性があります。
【網代城】網代城は北条氏照が甲斐武田氏の侵攻に備えて築いた狼煙ネットワークの一つで檜…
-
武蔵・戸吹城(根小屋城)~滝山三城の一つで滝山城の支城群の一つ、崩落が進み関東一危険の城とも。
【武蔵・戸吹城】 戸吹城の詳細は不明ですが、武田氏に備えて北条氏が築いた城だと推定されて…
-
高月城~滝山三城の一つ、築城は武蔵国の守護代・大石顕重で後に大石氏は北条氏の家臣となります。
-
滝山城~続日本100名城、国の史跡で中世城郭の最高傑作の一つであり遺構がよく残されています。
-
五徳(徳姫)~織田信長の長女で徳川(松平)信康に嫁ぎ二人の娘が誕生、が夫と義母の罪状を出す。
-
万~於万の方(小督の局、長勝院)、徳川家康の次男である結城秀康の生母となります。
-
徳川秀忠~江戸幕府2代将軍、幕藩体制の基礎を固め政権運営方針を次代に引き継ぐ。