【巴(築山殿の母親)】
2023年NHK大河ドラマ
「どうする家康」では、「巴」として登場します。
徳川家康の正室である築山殿(瀬名)の母親です。
2017年NHK大河ドラマ
「おんな城主直虎」では「佐名」でした。
彼女は、今川義元の妹であり、
築山殿は今川義元の姪にあたります。
けれども以下の史料があるとのことです。
系図の「井伊直平の女」には、
次のような記載があります。
「初為今川義元側室、後義元為妹、嫁関口刑部大輔源親永、
生一女、乃、義元為媒嫁神祖者、筑山御前是也」(『井伊年譜』)
「今川義元朝臣妻 後関口刑部大輔親永妻」(『系図纂要』)
「今川上総介義元内室 再嫁関口刑部小輔親永
東照神君簾中築山御前之母公是也」(『井家粗覧』)
現代語で簡単に説明すると・・・
「今川家に対する服従の証として
人質を差し出すように言われた井伊直平は、
娘を人質として駿府に送った。
今川義元は、養妹として体裁を整えた上で、
同族の関口親永と結婚させた。」
だ、そうです。
一説には妹ではなく井伊直平の娘で、
今川義元の側室となり後に
関口氏純(親永)に嫁いだともされています。
さらに別の説では、関口氏純(親永)の
実兄である瀬名氏俊の室との
誤認とのことです。
また井伊家から江戸幕府に提出された資料にも
「築山御前は井伊直平の孫」
と書かれていたようで、
江戸幕府の公式資料
「寛政重修諸家譜」の築山殿の
母親の項には、次のように記されているとか。
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「女子 今川義元が養妹となり、
関口刑部大輔親永に嫁す。按ずるに、
今川主馬義彰が呈譜、義元か妹、
関口刑部少輔氏廣か妻としるして
養妹たることをいはず。
はたして同人たるべし。
今しばらく各家のつたふるところにしたがふ」
(原文)
さてNHKから出されたキャスト発表の
築山殿の母親である「巴」には
以下の記述があります。
「瀬名の母。今川家につながる
出自の高貴な女性。愛娘・瀬名が
格下の元信(のちの徳川家康)と
結婚することに反対するが、
のちに良き理解者となる。
今川家を離反した家康と離れ離れになり、
幼子を抱えて暮らす瀬名の不安を、
精いっぱいに受け止める」
「義妹」とするか本当の
「今川義元の妹」であるかは
まだわかりませんが、上の記述を読むと
今川義元と血のつながった妹にするのかな・・
とも思います。
ただ、「どうする家康」の
キャスト紹介の記述が
史実が生きるか死ぬか、それを潜り抜け、
一方では本当にお亡くなりになるほどの
壮絶な人生なのに
(勿論、しぶとく強かに生き残る人もいますが)
あえてその殆どを、
明るく軽めでさわやかな文面で
掲載しているので
まだまだ設定はわかりません。
「義妹」でも血のつながった妹でも
「妹」であることにはかわりがないので。
築山殿の母親は最期は「自害」となります。
しかも夫である関口氏純と共にです。
築山殿は一度に両親を失うのです。
自身の命と夫と子供と引き換えが両親の命でした。
自害した理由は実はいろいろあるとのことです。
<1>
切腹を命じられた夫である
関口氏純(親永)の死を見届け、
自主的に自害した説。
<2>
夫である関口氏純(親永)と共に
自主的に自害して今川義元の非を諌めた。
<3>
夫である関口氏純(親永)と共に
自害を命じられた。
「どうする家康」の出演者紹介にあるように
瀬名の不安を精一杯に受け止めて
よき理解者となるようですから、
瀬名(築山殿)の幸せを願って、
自分の命を差し出し、
瀬名(築山殿)を見送ったのでしょうね。
そして瀬名姫も母親のそうした
思いを十分に受け止めていったと
思います。
・・・戦国の世とはいえ、瀬名姫、
「徳川家康」の正室であるがゆえに
様々な苦労や悲しみを
背負ってしまったのですね。
徳川家康が築山殿が去ってから、
なかなか正室(継室)を置かなかったわけも
何となく察してしまいます。
そしてこの母親の行動で、瀬名は
後年、自分の息子である信康を
命を懸けて精一杯守ろうとすることに
つながっていくのでしょうね。
2023年NHK大河ドラマ
「どうする家康」では
真矢みき(まや みき)さんが演じられます。
関口氏純(親永)~築山殿の父親であり出自は今川一門の瀬名氏であり今川家の有力家臣でした。
築山殿(瀬名)~徳川家康の正室で松平信康と亀姫の生母ですが、後に非業の死を遂げます。
たね(築山殿侍女)~結城秀康生母の小督の局か、西郷局暗殺疑惑の侍女か、それとも?
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