【幸神屋敷(さじかみ)】
幸神神社の西にある山裾は
御屋敷と呼ばれ土豪の居館が
あったということです。
武蔵名勝図会では
平山左衛門尉綱景の屋敷と伝え、
土豪の幸神氏の屋敷跡とも
考えられていますが、
江戸時代にはもう誰の屋敷かは
わからなくなっていたとのことです。
「新編武蔵国風土記稿」には
「屋敷蹟」、「武蔵名勝図会」には
「御殿跡」として記載があるとのことです。
両書とも、城主については不明としていますが、
「武蔵名勝図会」では幸神に住していたとする
伝承のある平山左衛門尉綱景
との関連を示唆しているとのことです。
平山綱景は、檜原城主平山氏重の弟とされており、
天正18年(1590年)の
小田原の役に際して、
八王子城に籠って討ち死にしたとされています。
一方で「日本城郭大系」では、
土豪幸神氏の存在の可能性を唱えていますが、
裏付ける証拠はなく、推測の域を出ていません。
【平山氏について】
平山氏は、鎌倉幕府創業の功臣
平山季重の後裔で、
戦国期には小田原北条氏に仕えて、
平山伊賀守氏重が檜原城主となって
甲斐武田氏の武蔵侵攻に
備えていました。
平山綱景は平山氏重の弟で、
小田原の役の際、
八王子城の太鼓曲輪を
守備して討死しました。
また幸神屋敷を、
この地の土豪幸神氏の
居館とする説もあるとのことです。
【地理地形】
幸神屋敷は、
勝峰川南岸の台地の先端に位置し、
周囲を渓流で囲まれた険要の地です。
現在民家となっています。
【交通アクセス】
JR五日市線「武蔵五日市」下車 徒歩30分
【所在地】
〒190-0181 東京都西多摩郡日の出町大久野
八王子城~日本100名城で日本遺産となった関東屈指の山城、城主は北条氏照でした。
北条氏照~北条氏政の同母弟、文武両道で外交手腕に長けており、兄を補佐し盛衰を共にしました。
滝山城~続日本100名城、国の史跡で中世城郭の最高傑作の一つであり遺構がよく残されています。
高月城~滝山三城の一つ、築城は武蔵国の守護代・大石顕重で後に大石氏は北条氏の家臣となります。
檜原城~鎌倉武士の花形の末裔で武蔵七党・西党の一族の平山氏が築城、豊臣方には徹底抗戦しました。
幸神屋敷~平山左衛門尉綱景の屋敷とも土豪の幸神氏の屋敷跡とも伝わります。
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