【上野上村城】
築城年代は定かではありませんが、
文安年間(1444年⇒1449年)頃に
戸田弾正左衛門宗光によって
築かれたと云われています。
戸田氏はその後の文明12年(1480年)に
田原城を築き、上野上村城には
次男である戸田家光を残して
戸田宗光は田原城へ移りましたが、
ほどなくして戸田家光も
移ったということです。
【井田野の戦い、松平家】
1493年、
上野城主阿部孫次郎・
寺部城主鈴木氏・
拳母城主中条氏・
八草城主那須氏・
伊保城主三宅氏の連合軍が
松平宗家4代の
松平親忠に敗れ、服属しました。
1494年、この戦の功により、
松平宗家6代目となる松平信忠の弟である
桜井松平信定が上野城主となり、
清定、その後は家次の居城となりました。
【広畔畷の戦い】
1545年、
松平清定-家次・
酒井将監忠尚・忠尚の与力
榊原七郎右衛門長政の連合軍が
松平宗家の8代目となる
松平広忠に敗れます。
1546年に
酒井将監忠尚(酒井忠次の兄、或いは叔父)
が許されて城主となりました。
【三河一向一揆】
1563年の「三河一向一揆」の際、
一揆方として松平宗家9代目の
松平家康と戦いました。
その翌年の1564年、
一向宗との和議で一揆は治まり、
酒井忠尚は駿河へ逃れました。
その後、岡崎城代である
石川数正の管理下となり、
上野七人衆と呼ばれる
在藩衆が置かれました。
この城は徳川四天王の一人である
榊原康政の生誕地として知られています。
榊原氏は上野上村城主であった
酒井将監忠尚に仕えていましたが、
榊原康政は小姓として
徳川家康に見いだされ、
江戸時代には
上野国館林初代藩主になっています。
上野上村城は現在の上郷護国神社一帯に
築かれていました。
神社の境内に土塁の高まりがあり、
上に社が祀られています。
現在は藪間公園、上郷児童館、
護国神社に変わり、
土塁状の盛山が残っています。
【形態】
平城
【遺構】
土塁
【城主】
戸田氏、阿部氏、松平氏、酒井氏
【所在地】
〒470-1218 愛知県豊田市上郷町薮間
【駐車スペース】
神社の境内の端
河和城~戸田宗光が築城、孫の守光没後にその遺児が母方の水野姓を名乗り河和水野氏となります。
安祥城~織田・松平・今川で激しい戦闘が幾度もあった城で三河安祥之七御普代の発祥地。
榊原康政~徳川四天王、部隊の指揮に優れ能筆家で、井伊直政・本多忠勝とは特に仲が良かったとされています。
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