【塚原卜伝の墓】
塚原卜伝は延徳元年(1489年)、
鹿島神宮の神職卜部吉川家に生まれ、
塚原城の城主塚原土佐守安幹の
養子になりました。
少年時代に鹿島の太刀、香取神道流などを習い、
剣の達人としての第一歩を踏み出しました。
塚原卜伝は生涯3回の廻国修行をしたと
言われており、室町幕府の将軍である
足利義輝やその弟である足利義昭などにも
指導したと伝えられています。
その後、塚原卜伝の剣術は、
甥の吉川晴家に伝えられ、
「鹿島新當流」として
県の無形文化財に指定されています。
塚原卜伝は、元亀2年(1571年)に
83歳で亡くなりました。
お墓は梅香寺跡に建てられています。
元々梅香寺というお寺があったのですが、
焼失してしまって現在では
塚原卜伝の墓だけが残っているとのことです。
妻の妙(塚原安義の娘)とともに
眠っているとのことです。
なお位牌は墓地近くの真言宗長吉寺にあるとのことです。
(北浦を背にして塚原卜伝の墓の奥にあります)
【宮本武蔵との逸話は?】
なお、宮本武蔵が後ろから
切りつけたところを、塚原卜伝が鍋の蓋で受け止めたという
逸話が有名となっています。
しなしながら宮本武蔵との
鍋蓋による対決は、事実ではありません。
塚原卜伝は元亀2年(1571年)に
亡くなっているのですが、
宮本武蔵が生まれたのは
天正12年(1584年)とされています。
生まれ年については、
宮本武蔵によって書かれたとされる
五輪書の冒頭に「歳つもりて六十」
という記述がありますが、
寛永20年(1643年)に
数え年60歳であるならば、
生まれた年を換算すると
宮本武蔵の生まれた年は
天正12年(1584年)
と想定されるからです。
よって宮本武蔵は、
塚原卜伝が亡くなってから
生まれていることになるからです。
2011年には、NHKのBS時代劇枠で
ドラマ化され、堺雅人さんが塚原卜伝役を演じられています。
(はい、しっかり視聴していました!)
この場所は剣聖の墓ということもあり、
武道を志す人のパワースポットとしても
注目されているとのことです。
【所在地】
〒314-0047 茨城県鹿嶋市須賀503番地
【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。
塚原卜伝~剣聖と謳われ、室町幕府将軍の指南役にもなった剣士の生涯について。
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