【杉本寺】
杉本寺(すぎもとでら)は、
神奈川県鎌倉市二階堂にある
天台宗の寺院です。
山号は大蔵山。
本尊は十一面観音で、
坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所の第1番札所です。
鎌倉最古の寺とされています。
【歴史】
天平3年(731年)、
東国の旅をしていた行基(ぎょうき)が、
ここが観音様を祀る場所にふさわしいと考え、
自ら彫った十一面観音を安置したことから
始まったとされています。
その後、天平6年(734年)、
光明皇后が観音菩薩のお告げにより
東国の治安の安定を願い、
右大臣の藤原房前と行基に
本堂を建立させたといわれています。
文治5年(1189年)、
堂宇が焼失しましたが、
このとき観音像は自ら本堂から出て、
境内に避難したと伝えられています。
「吾妻鏡」では、中世には大倉観音堂と呼ばれ、
文治5年(1189年)の火災時には
別当浄台房が炎の中から本尊を持ち出し
無事であったということです。
同書には建久2年(1191年)に
源頼朝が杉本寺を参拝し、
修理料を寄進したとあります。
【杉本城】
背後にはかつて杉本城がありました。
足利方の武将で鎌倉府執事を務めた
斯波家長(?⇒1337年)の拠点でしたが、
南朝方の北畠顕家に攻められ、
この寺で自害しています。
【杉本寺の境内】
金沢街道から石段を上った先に
山門(仁王門)が建ち、
さらに上ったところに
本堂(観音堂)が建ちます。
山門から本堂へ上る正面の鎌倉石の石段は
すり減っていて通行禁止となっており、
参拝者は左側の新しい階段を使用します。
本堂の裏山は杉本城跡であり、
本堂右手前には杉本城の戦いで
戦死した斯波家長と
一族の供養塔とされる石塔群があります。
【山門(仁王門)】
切妻造、茅葺の八脚門。
左右に金剛力士(仁王)像を安置しています。
江戸時代、18世紀半ば頃の建立です。
【本堂(観音堂)】
寄棟造、茅葺、方五間
(正面側面とも柱間が5間)の密教仏堂です。
棟札から延宝6年(1678年)
の建立と判明しました。
堂内奥には本尊として
3体の十一面観音像を安置し、
他に前立十一面観音像、
新十一面観音像、
観音三十三応現身像、
毘沙門天立像、地蔵菩薩立像(2体)などが
安置されています。
【十一面観音立像(3体)】
本尊として3体の十一面観音立像を安置しています。
中央の像(像高166.7センチメートル)は寄木造、
漆箔仕上げで、円仁(慈覚大師)作と伝承されています。
衣文に平安時代風を残していますが、
鎌倉時代に入っての作とみられています。
中尊の左(向かって右)の
十一面観音立像(像高142センチメートル)は寄木造、
漆箔仕上げで、
源信(恵心僧都)作と伝承されていますが、
実際の制作年代は鎌倉時代とのことです。
スポンサーリンク
右(向かって左)の十一面観音立像
(像高153センチメートル)は
行基作と伝承されるものです。
素木の一木造であり、
3体の中ではもっとも古様で、
平安時代末期の作と推定されています。
作風は素朴で、ノミ痕を残す部分もあり、
専門の仏師ではない
僧侶の作かと推定されています。
中央と左(向かって右)の像は
国の重要文化財に指定されています。
伝・行基作の十一面観音像は、
伝説に基づき「覆面観音」
「下馬観音」の別称があります。
昔、馬に乗ったまま
杉本寺の門前を通ろうとすると
必ず落馬していました。
ところが、蘭渓道隆(大覚禅師)が
この観音像の顔を袈裟で覆ったところ、
落馬する者はいなくなったとの伝承から、
前述の別称が生じたとのことです。
3体の観音像は格子戸の奥に安置されており、
間近での拝観はできませんが、
毎月1日と18日に
開帳が行われるとのことです。
このほか、
前立十一面観音像は
源頼朝の寄進と伝えられており、
本堂正面には、
源頼朝公寄進の
前立本尊十一面観音様が安置されています。
新十一面観音像は昭和期に
当時の住職が彫像したものであるそうです。
【大蔵弁財天堂】
財宝、利得の神、弁天尊をお祀りしています。
古来より、杉本寺の弁天尊をお参りすると
大きな蔵が建つ程の
富に恵まれるという言い伝えがあるとのことです。
【文化財】
<重要文化財(国指定)>
木造十一面観音立像(像高166.7センチ)
木造十一面観音立像(像高142センチ)
<神奈川県指定文化財>
本堂
【所在地】
神奈川県鎌倉市二階堂903
【交通アクセス】
【公共交通機関】
◆JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩30分
◆鎌倉駅発 京急バス4番乗り場「杉本観音」下車 徒歩1分
【車】
◆横浜横須賀道路「朝比奈IC」から鎌倉駅方面へ約10分
※杉本寺専用駐車場はありませんが、
道路斜め向かい(鎌倉方面)にコインパーキングがあります。
源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。
源義朝の墓(鎌倉)、忠臣の鎌田政家(政清・政長)と共に眠るもう一つのお墓。
勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。
海蔵寺(鎌倉)鎌倉奥の静かな佇まいの花と井戸、そして数々の伝説を秘めた寺です。
英勝寺(鎌倉)太田道灌公の屋敷跡にある水戸家の尼姫たちの水戸御殿と呼ばれたお寺です。
常栄寺(鎌倉)通称は牡丹餅寺、むかし源頼朝が「千羽鶴の放生会」を展望するための桟敷がありました。
この記事へのコメントはありません。