史跡・城跡

高岡山 瑞龍寺~前田利長公の菩提寺~国宝、江戸初期の禅宗寺院建築が見事です。

瑞龍寺 山門と回廊



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【瑞龍寺】

瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、
富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院です。
山号は高岡山。
本尊は釈迦如来です。
開基は加賀前田家3代目当主前田利常
開山は広山恕陽です。
岡城を築城して
この地で亡くなった
前田家2代目当主であった
前田利長を弔うために建立されました。
仏殿、法堂、山門の3棟が
近世禅宗様建築の代表作として、
1997年(平成9年)に国宝に指定されました。
これは富山県下における初の国宝指定であり、
2019年(令和元年)9月現在においても
富山県唯一の国宝となっています。

【瑞龍寺の歴史と前田利長公】
加賀藩2代藩主前田利長公が、
織田信長及び織田信忠父子の追善のため、
文禄3年(1594年)に
金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が
瑞龍寺の前身であるとのことです。
前田利長は慶長10年(1605年)、
44歳で家督を異母弟の前田利常に譲り、
自らは隠居したのでした。
前田利長には実子がなかったため、
30歳以上年下の異母弟で、
当時まだ少年であった前田利常を
養嗣子としたのでした。
隠居後の前田利長は
金沢から富山に移転しますが、
富山城の炎上を機に高岡に移り、
ここに新たに高岡城を築きました。
前述の法円寺は、
前田利長死去の前年である
慶長18年(1613年)に
高岡に移されました。

【前田利長の死】
前田利長は慶長19年(1614年)に没しています。
後を継いだ3代藩主前田利常は、
法円寺を前田利長の菩提寺とし、
前田利長の法名瑞龍院に因んで
寺名を瑞龍院と改めたのでした。
そして後に、さらに瑞龍寺に改称しました。

【伽藍の整備】
前田利常は承応3年(1654年)から
瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手しました。
なお、伽藍整備の開始は、
前田利長の三十三回忌にあたる
正保3年(1646年)からとする説もあります。

建築工事は、
加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広
(代々「善右衛門」を名乗っています)が
棟梁となって進められました。

山門、仏殿、法堂が一直線に並び、
左右に回廊をめぐらして
諸堂を対称的に配置する伽藍配置は
中国の径山万寿寺にならったものといい、
伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌にあたる
寛文3年(1663年)頃でした。

【前田家の保護の下に】
瑞龍寺は近世を通じて
前田家の手厚い保護を受け、
寺領300石を有する大寺でした。
延享3年(1746年)の火災で
山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、
山門が再建されたのは、
それから約70年を経た
文政3年(1820年)でした。

【江戸時代の寺の配置】
江戸時代には総門と山門の間の僧堂(禅堂)側に
七間浄頭(東司〔トイレ〕)、
大庫裏(おおくり)側には浴室があり、
七堂伽藍が揃っていました。
けれども明治時代に入り、
加賀藩の庇護を受けられなくなり困窮し、
部材を売るため解体され現在に至っています。




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【大修理の後の国宝指定】
1985年(昭和60年)から
大規模な修理(昭和・平成の大修理)を
総工費約23億円を掛けて行ない、
約10年かけて完了。
その後、1997年(平成9年)12月3日に
国宝に指定されています。
これは、新規の国宝建造物指定として
1967年(昭和42年)に、
法隆寺綱封蔵が指定されて
以後30年ぶりの事となります。

2000年(平成12年)より
春に3日間、夏と冬は2日間、
寺院のライトアップと夜間拝観を行っており、
冬は、2011年(平成23年)から
毎年2月に「夜の祈りと大福市」として
行われています。

なお、今年度の夏の期間は過ぎています。
来年の冬の開催は、
直接お問い合わせくださるか、
瑞龍寺や自治体の公式サイトをご覧ください。

富山県観光公式サイト⇓⇓⇓
国宝高岡山瑞龍寺

【昭和・平成の大修理で判明したこと】
大修理以前の瑞龍寺は、禅堂(僧堂)が
現在の3分の1の規模、
大庫裏にいたっては明治時代初期に解体され
建物はまったく残ってはいませんでした。
1985年(昭和60年)から行われた大修理では、
まず解体・発掘調査などが行われました。
その結果、建物(大庫裏)があったことを示す
基礎の大石が現在地で見つかったほか、
寺院内に大庫裏の建物に使用されていた
数多くの木材を確認、
また砺波市の寺院に
大庫裏の玄関部分が
移築保存されていることが確認され、
大庫裏があったことが証明されたのでした。
これにより文化庁は、
これまでなかった大庫裏を
回廊の付属物扱いとして
復元を異例承認し再建。
禅堂(僧堂)も元の大きさに戻し、
左右対称の本来の伽藍配置に戻ったのでした。

【七堂伽藍の完全復元に向けて】
また現在は失われた、
七間浄頭(東司〔トイレ〕)の便槽の跡、
浴室の礎石を発掘調査で確認しています。
これらの2つの建物は将来再建し、
七堂伽藍を完全復元する構想があり、
すでに設計図が完成しているほか、
回廊は昭和・平成の大修理で、
七堂伽藍復元を前提とした建築となっています。

<総門>
瑞龍寺 総門

重要文化財です。
正保年間に竣工。
正面幅三間の薬医門形式です。

<山門>
瑞龍寺 山門

国宝。
現在の門は
文政3年(1820年)に竣工したものです。
高さは約18mで寺院内で最も高い建物です。
正保2年(1645年)竣工した山門は
万治年間に場所を移して
建てかえられましたが、
延享3年(1746年)の火災で焼失。
長らく仮の門が建てられていましたが、
焼失した門と同様の古式な
禅宗様式で再建されました。
二重門で、
屋根は入母屋造、杮(こけら)葺き。
二重門では下層の屋根を
上層よりも大きくつくることが多いですが、
この門では上層と下層の屋根の出が
あまり変わりません。
これは積雪時に上層屋根から
落下した雪が下層屋根に当たるのを
防ぐためと見られています。

下層左右には金剛力士(仁王)像、
上層内部には宝冠釈迦如来と
十六羅漢像を安置しています。




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<仏殿>
瑞龍寺 仏殿

国宝。
棟札により万治2年(1659年)の竣工です。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きの
総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きでしたが、
現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きです。
鉛製の瓦を用いる理由は、
冬季の積雪対策のためであるとのことです。
内部を土間床とし、
天井の構造材を見せて装飾としている点、
組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を
密に配する点などは
禅宗様建築の特色であり、
柱、扉、窓などの細部様式も
典型的な禅宗様になっているとのことです。
本尊の釈迦如来と、
普賢菩薩、
文殊菩薩の釈迦三尊像のほか、
達磨座像、跋駄羅尊者像を安置しています。

<法堂>
瑞龍寺 法堂

国宝。
墨書から明暦元年(1655年)の建立。
総桧造りの入母屋造、銅板葺き。
内部を土間床とする仏殿に対し、
法堂は畳敷きで、
横2列、縦3列の6部屋を配する
方丈形式の間取りで建坪186坪あります。
手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、
その前面は左右に細長い土間廊下としています。
こうした平面形式は
曹洞宗建築の特色を示しているとのことです。
二代藩主前田利長の位牌を
建物中央奥に安置しています。
かつて同寺にあった
七間浄頭(東司)に祭られていた
烏瑟沙摩(うすさま)明王立像を安置しています。
烏瑟沙摩(うすさま)明王は安産の仏様であるそうです。

<法堂 鬼瓦>
法堂 鬼瓦

<僧堂(禅堂)>
重要文化財。
延享3年(1746年)に
焼失しましたが直後に再建されました。

<大庫裏>
瑞龍寺 大庫浦

重要文化財(北回廊の一部として)。
結露を防ぐために天井には
漆喰が塗られ曲線になっています。
建物正面の厨子内に
韋駄天尊像(木像、高さ約90cm)が安置されています。

前田家より1655年〜1657年頃に
寄進されたといわれています。

<大茶堂>
重要文化財。
防火建造物である土蔵造りの手法を用い、
外壁を大壁とし、
内部は土天井とするなど大変珍しいものです。
賓頭盧尊者像を安置しています。

<回廊>
重要文化財。
大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、
北回廊、
南東回廊、
南西回廊からなっています。
回廊の左右は白壁となっており、
規則正しく並んだ柱と
格子枠の障子戸が特徴となっています。

瑞龍寺 回廊・仏殿・法堂

この他、北回廊には鐘楼があり、
南西回廊の奥には
前田利長、前田利家
織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る
5つの石廟があります。

【文化財】
【国宝】
<瑞龍寺 3棟>
◆仏殿
◆法堂
◆山門

【重要文化財】
<瑞龍寺 7棟>
◆総門
◆禅堂
◆大茶堂
◆高廊下
◆北回廊(大庫裏と鐘楼付属)
◆南東回廊
◆南西回廊
◆紙本墨書後陽成院宸翰御消息

【富山県指定有形文化財】
<木造烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)>
立像: 高さ117cm。
同寺最古の室町時代以前の制作で、
国内最大級の仏像とされ、
前田家より寄進されたと伝わっています。
植村花菜さんによる楽曲のヒット以来
「トイレの神様」として
人気を得ているそうです。
ちなみに本来は安産の仏様です。
◆紙本墨書近衛信尋筆懐紙
◆前田家寄進の宝物

【富山県指定史跡】
<石廟>
この他、絵画や墨蹟などの文化財を
多数有しています。




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【拝観料】
大人:500円(団体:400円)
中高生:200円(150円)
小学生100円(70円)
※( )内は30名以上の団体料金。

【所在地】
富山県高岡市関本町35

【電話番号】
0766-22-0179

【拝観時間】
午前9時〜午後4時30分
(12月10日〜1月31日は午後4時まで)

【交通アクセス】
【列車】
寺のすぐ西側を城端線が走行していますが、
寺の近くに駅はなく、
「新高岡」駅または「高岡駅」からの
アクセスとなります。

◆北陸新幹線・JR城端線
「新高岡」駅より徒歩15分
「新高岡」駅1番のりばから出る
すべてのバス「瑞龍寺口」下車 徒歩5分
車で3分

◆あいの風とやま鉄道
JR氷見線・JR城端線
「高岡」駅より徒歩10分
高岡駅瑞龍寺口(南口)
1番のりば・2番のりばから出る
すべてのバス「瑞龍寺口」下車 徒歩5分
車で3分

【車】
◆能越自動車道 高岡ICから車で10分
◆北陸自動車道 高岡砺波スマートICから車で15分

【駐車場】
参拝者用の無料駐車場あり。

【トイレ】
男女別のトイレがあります。

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