史跡・城跡

泉岳寺~徳川家康が創建の曹洞宗の寺院で赤穂義士の墓所がある忠臣蔵の聖地です。

泉岳寺 山門



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【泉岳寺】

泉岳寺(せんがくじ)は、
京都港区高輪二丁目にある
曹洞宗の寺院です。
青松寺(せいしょうじ、
東京都港区愛宕二丁目4番7号)及び
総泉寺総泉寺(そうせんじ、
東京都板橋区小豆沢3-7-9)とともに
曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられています。

泉岳寺 本堂

【泉岳寺の歴史】
慶長17年(1612年)に
徳川家康が外桜田(桜田門周辺)の地に
門庵宗関を招いて創建した寺院です。
寛永18年(1641年)の
寛永の大火で焼失しましたが、
徳川家光の命で、
長府毛利・笠間浅野・鹿沼朽木
丹羽・水谷の5大名により、
現在の高輪の地で再建されました。
御手伝い普請の大名は
菩提寺とする事で徳川への忠誠を示しました。

【ただし・・・】
なお毛利綱元は江戸で没したにも関わらず、
遺体を長府に送らせ
赤穂義士との併葬を拒否しました。
丹羽家は吉良義央の子孫が
藩主になる以前に泉岳寺と絶縁、
水谷家は浅野長矩
備中松山城を収公され
旗本に転落後は使用していません。

【当時の泉岳寺】
移転してきた当時の泉岳寺は、
現在の三倍近い寺領を有し、
学寮だけでも九棟あって
二百人もの学僧が修行していたとのことです。
境内の壮大さは「江戸名所図会」の
鳥観図で描かれているとのことです。




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元禄赤穂事件で眠る人々】
元禄14年(1701年)3月、
松の廊下の刃傷により切腹した浅野長矩が、
次いで元禄16年(1703年)2月、
元禄赤穂事件で赤穂義士が葬られました。

江戸城 松の大廊下跡

浅野長矩正室の瑤泉院(阿久里)、
浅野長矩実弟の浅野長広(浅野大学)、
浅野長広の代々子孫、
大石家の墓所も泉岳寺にあります。

泉岳寺 境内案内図

浅野大学家と大石大三郎家(小山流)、
広島藩の大石別家(横田流)も断絶しましたが、
瀬左衛門の家が赤穂藩(森家)大石宗家として
かつての主君や義士の祭祀を
継承しています。
今も義士祭などに
参加されているとのことです。

大石内蔵助良雄銅像>
泉岳寺 大石内蔵助良雄銅像

【売り払った住職・・・】
義士の討ち入り後、
当時の住職であった酬山が
浅野長矩の脇差(村正)や
義士の所持品を売り払って
収益を得たことに世間の批判が集まり、
あわててこれらの品を
買い戻しに走ったことがありました。
それでもなお大半の遺品が散佚し、
21世紀になってから
発見されたりする刀剣が
続出しているとのことです。

【墓所も放置した住職・・・】
加えて、当該住職は怠惰で
義士の墓所も放置してしまい、
「泉岳寺の墓地には
草が丈高く生い茂って、
墓が並んでいるのも見えない」と
同時代人の記録が残ているとのことです。
徳川吉宗の治世までは、
江戸の墓参者が殆ど無かったとも
書かれているとのことです。
「江戸開帳年表」にも
1750年まで泉岳寺の記述はありません。
江戸三座での歌舞伎
「仮名手本忠臣蔵」上演もあって、
人が来るようになったので
金銭を徴収することにし、
金の無いものは門番が入れないようにしました。

【細川家との関係】
また、細川家との関係悪化により、
寄進された梵鐘を鐘楼から除去し、
のちに寺から放出しました。
但し21世紀になって、
細川重賢により処分された
熊本藩邸の義士切腹地から
欠けた皿が出土し、
細川綱利が義士墓に供えた
遺品の可能性が指摘されているとのことです。

【島津家との関係】
文化3年(1806年)の
丙寅の大火(泉岳寺大火)で
高輪の薩摩藩邸が全焼し、
島津家との関係も悪化しました。
山号の萬松山は松平の松より
(「松萬代に栄ゆる」の意)、
寺号の泉岳寺は「源の泉、海岳に溢るる」と
徳川(源氏長者)に由来するため、
徳川家の力が弱まると
毛利家も支藩の菩提寺使用を
止めているとのことです。

天保3年(1832年)、
住職・貞鈞により山門が再建、
天井に「銅彫大蟠龍」が
嵌め込まれています。
天保7年(1836年)には、
梅庭和尚の勧進で中門が完成しました。
中門は東京都の史跡です。

【幕末】
幕末には高輪接遇所(英国公使館)が
泉岳寺の門前および境内にあったため、
尊王攘夷の志士にしばしば攻撃されました。
攘夷の風潮の中、
異国人を居住させたということで
墓を杖や棒で殴打されるなどの被害が続き、
浅野家以外の檀家であった大名の離去を招きました。

【明治維新】
明治維新で、藩閥・反幕公卿の新政府
(鍋島家も吉良の姻戚である)により
荒廃を余儀なくされましたが、
住職・泰然は墓や義士像の周囲に
柵(竹矢来)を設け、破壊から守りました。
それでも浅野長矩と瑶泉院(阿久里)の墓は
法名の一部が破損したのでした。




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【川上音二郎が寄付】
明治24年(1891年)、
「オッペケペー」で人気を博した川上音二郎は、
赤穂義士の墓が荒れ果てているのを見て、
貧者救済の名目で寄付をしました。
寺は「首洗いの井戸」を整備しました。
当初は井戸の後方に
川上の墓が建っていましたが、
今は檀家墓地に移されています。

<首洗い井戸>
泉岳寺 首洗い井戸

【大正期】
大正に入ると圓頓住職が荒れた墓地を整備、
煉瓦造りの宝物館
(現在の義士木像館に相当)を創設しました。
大正5年(1916年)には
中央義士会が誕生し、
泉岳寺と連携して義挙の公布に勤めました。

大正12年(1923年)、
関東大震災により建物や墓が倒壊しました。
昭和20年(1945年)には
東京大空襲によって本堂が焼失しました。
昭和28年(1953年)に
本堂が再建されました。

2001年に赤穂義士記念館が
装いも新たに落慶しました。

2020年)、
破損していた浅野長矩と
瑶泉院の墓の修復が
完了しました。

【境内】
<学寮>
境内には学寮があり、
後に吉祥寺の旃檀林学寮、
青松寺の獅子窟学寮と統合して
駒澤大学に発展したほか、
現在でも僧侶は境内の学寮で
共同生活を行いながら大学に通学しています。

<瑤池梅>
泉岳寺 瑤池梅

<血染めの梅、血染めの石>
泉岳寺 血染めの梅、血染めの石

【文化財】
(史跡(国指定))
<浅野長矩墓および赤穂義士墓>
元禄14年3月14日、
江戸城中で吉良義央(上野介)に対し
刃傷沙汰に及び、
即日切腹となった
赤穂藩主浅野長矩(内匠頭)の墓、
及び、元禄15年12月14日、
江戸本所の吉良屋敷に押し入って
吉良の首級を上げ、
翌年2月4日に切腹となった
いわゆる赤穂浪士
(泉岳寺では「赤穂義士」と呼んでいる)
の墓です。

浅野長矩墓および赤穂義士墓入口

一般に赤穂浪士
「四十七士」と呼ばれていますが、
泉岳寺の赤穂義士墓地には
討入り以前に自害した
萱野重実(三平)の供養墓を含め
48基の墓塔があります。
浅野長矩墓および赤穂義士墓 案内図

48基のうち、この萱野三平と、
遺骸を遺族が引き取ったため
泉岳寺には埋葬されていない間光風(新六)、
そして討入りに参加した浪士の中で
唯一人切腹をまぬがれた
寺坂信行(吉右衛門)の墓塔は、
遺骸の埋葬を伴わない供養塔となります。
なお寺坂以外の浪士の戒名は
すべて最初の文字が「刃」となっています。

<浅野長矩公墓>
泉岳寺 浅野長矩公墓

<瑤泉院の墓>
泉岳寺 瑤泉院の墓

<浅野長広(浅野大学)・浅野長広・子孫の墓>
泉岳寺 浅野長広(浅野大学)・浅野長広・子孫の墓

大石内蔵助の墓>
泉岳寺 大石内蔵助の墓

<大石主税の墓>
泉岳寺 大石主税の墓

<赤穂義士の墓1>
赤穂義士の墓1

<赤穂義士の墓2>
赤穂義士の墓2

<赤穂義士の墓3>
赤穂義士の墓3

<赤穂義士の墓4>
赤穂義士の墓4

<赤穂義士の墓5>
赤穂義士の墓5

<赤穂義士の墓6>
赤穂義士の墓6

【所在地】
〒108-0074 東京都港区高輪2-11-1
<TEL>03-3441-5560
<FAX>03-3441-2208




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【開閉門時間】
●夏(4/1~9/30)
午前7時~午後6時

●冬(10/1~3/31)
午前7時~午後5時

【赤穂義士記念館】
<拝観時間>
●夏(4/1~9/30)
午前9時~午後4時30分
※午後4時までに入館ください、とのこと。

●冬(10/1~3/31)
午前9時~午後4時

<拝観料>
(赤穂義士記念館と義士木像館は共通券)
大人:500円
中高生:400円
小人(10歳以上):250円
団体:30名様以上 400円
※障がい者割引があります。

【交通アクセス】
都営地下鉄浅草線及び
京急本線「泉岳寺」駅 A2出口より徒歩3分
JR山手線・京浜東北線
「高輪ゲートウェイ」駅より徒歩8分

都営バス 「泉岳寺前」下車
(反96系統)
五反田駅-品川駅高輪口-麻布十番駅前-六本木駅前
(品97系統)
新宿駅西口-信濃町駅南口-品川駅高輪口 

滞在所用時間:20分~

浅野長政~豊臣秀吉の姻戚で五奉行筆頭、政治面で手腕を発揮、関ヶ原では徳川家康を支持します。

江戸城~武蔵国江戸の最初の館は江戸氏、太田道灌が築城しやがて徳川家康が入城し開府しました。

増上寺~創建は室町時代で徳川将軍家の菩提寺、本堂と東京タワーが1枚に収まります。

善明堤の戦い・鎧ヶ淵古戦場 (黄金堤)~東条吉良氏と松平元康の攻防戦の一つ、一族の多くを失い敗北。

大石氏邸跡~大石内蔵助の祖父で笠間藩家老だった大石良欽の居館跡です。

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