【善照寺砦】
善照寺砦(ぜんしょうじとりで)は、
織田信長が今川義元との戦いの際に
鳴海城を囲むように築いた三砦の一つです。
永禄2年(1559年)の
山口教継、教吉親子の切腹により、
鳴海城は南の大高城とともに
今川義元直属の支配下となりました。
織田信長はこれに対抗すべく、
鳴海城を取り囲むように
丹下砦、善照寺砦、中嶋砦の三砦を築き、
さらに大高城との連絡を絶つべく、
大高側に丸根砦、鷲津砦を築きました。
善照寺砦には佐久間信盛、信辰兄弟が配置。
砦の建築は孤立した前線基地へ
敵勢をおびき寄せる目的もあったとのことです。
善照寺砦には
鳴海城の東に伸びた丘陵の東端にある
寺跡が利用されました。
砦は一辺50mの堀と
土塁を巡らせた館型であったそうです。
西の屋根続きに出入口があり、
出入口南側の土塁は櫓台状になっていました。
現在の城跡は善照寺砦公園として
整備されていますが
遺構は直接確認することはできません。
【交通アクセス】
名鉄名古屋本線「鳴海」駅から徒歩10分程度。
【駐車場】
公園専用の駐車場はありません。
【所在地】
〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3
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