【葛見神社】
伊東市の「葛見神社」は、
平安時代の927年にまとめられた神社の一覧
「延喜式神明帳」に載っている由緒ある神社です。
地名の久須美(くすみ)から崩れて
葛見(くずみ)神社という
名前になったとも言われています。
境内にある大楠は樹齢千年以上で、
全国第二位の樹齢を誇る国指定天然記念物です。
周囲20mもの巨樹で、
静岡県の巨木100選に指定されています。
その昔、この土地を初めて治めた
「伊東家次」が神社の社殿を造営し、
京都の伏見稲荷神社をここに置いたたため、
伊東家の守護神が祀られています。
伊東の祖の「伊東家」の守護神が祀られ、
境内の手水舎には関東大震災で破壊された
鳥居が使用されています。
本殿の前は稲荷神社を祀られており、
狐と狛犬の像が2対置かれています。
【社名】
現本殿の棟札に元禄10年(1697年)当時は
「葛見大社」と称されていました。
更に古くは「久須見神社」や「久寤大社」とも称され、
明治維新後に現社名に改めたとのことです。
この場合神社名は、
地名である古代の久寝(くすみ)郷、
中世の久須見(葛美、萳美)庄に因んだもので、
古く「くつみ」と称されたものが「くづみ」と濁り、
現「くずみ」になったものと考えられています。
また鎮座地は近世まで岡村に属し、
住所表示も昭和47年(1972年)までは
伊東市岡字宮の上であったため、
現在も「岡の郷社」と通称されているとのことです。
【ご祭神】
主祭神:葛見神
相殿:
伝倉稲魂命(稲荷神)
大山祇命
【主祭神と稲荷神】
主祭神は事代主命もしくはその一族の神であるとも、
或いは医薬神である大己貴命や
少彦名命とも言われるが定かでないそうです。
ただし、この地一帯には
旧石器時代からの遺跡等もあり
早くから拓けた地でありました。
従って古くからこの地の土着神として
崇められたものと考えられています。
相殿は後世、伊東氏によって勧請されたもので、
伊東氏の家祖である
工藤祐隆(工藤家次・伊東家次)が
稲荷神を信仰していたために、
葛見神社へ合祀したものと考えられています。
伊東氏は家祖祐隆に倣って、
代々稲荷神を信仰していたとのことです。
各地へ分散した一族の中には
居地に稲荷神を勧請する例が多かったということです 。
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【歴史】
太古より一帯の守護神として
今も境内に繁茂する樹林を神霊の宿る杜として
祭祀が行われていたものと考えられています。
中世になると当地を拠点とする
伊東氏の尊崇と保護を受け、
伊東祐隆は葛見神社を修造するとともに、
近くに東林寺を創建して
別当寺として当神社を管理させたとのことです。
この地における伊東氏の勢力は
伊東祐隆の孫である伊東祐親の死後に衰えましたが、
その後も付近諸所に残留する子孫が
葛見神社を信仰し続け、
神社所蔵の棟札によると
慶長15年(1610年)には
伊東正(政)世が焼失後の造営を行っていたそうです。
明治までは時々の領主により
神供米が寄進されていたそうです。
明治6年(1873年)4月に郷社に列しました。
なお葛見神社は近在の住民からも聖視され、
かつては社前の道を葬送の列が通る事が
固く禁じられていたそうです。
その道が東林寺へ通う本道とされたにも拘わらず
東林寺へ葬る際には迂回路を採ったと伝えています。
【祭祀・神事】
近世までは9月19日が祭日でした。
改暦後には10月19日に改め、
現在の例祭日は10月15日となっています。
例祭には境内チョーヤ(庁舎)において
「岡の神楽」や三番叟、鳥刺踊りが奉納されます。
「岡の神楽」は2月初午日に演じられていた獅子舞で、
しばらく絶たれた後、昭和59年に復興され
例祭に奉納されるようになったということです。
鳥刺踊りは市内の他の神社でも奉納されています。
いずれも「曽我物語」に材を取り、
鳥刺しに身を窶した曾我兄弟が
親の仇を討つ内容となっています。
また、三番叟は神事芸能として
伊豆半島一帯に広く分布しているとのことです。
葛見神社の解説板によりますと、
現在は神楽のみの奉納、とのことです。
【神職】
近世には東林寺が別当として管理していました。
明治初年の神仏分離により
東林寺の住僧が還俗して朝日氏を名乗り、
以来、朝日家が襲名しています。
【本殿】
本殿は上屋(覆屋)によって保護される
2間四方の神明造で元禄10年の造替にかかり、
欄間には狐等の彫刻が施されています。
上屋は天保年間(19世紀前葉)の建物です。
拝殿は桁行3間梁行2間の
鉄筋コンクリート製切妻造瓦葺で昭和40年の建築です。
【境内社】
熊野神社、白山神社、三島神社、
八幡神社(神明・春日の2社を合祀)、
疱瘡神の5社です。
疱瘡神は天然記念物の大樟の樹下に
石祠で祀られていますが、
「稲荷」と記す地誌もあるため、
稲荷神を疱瘡神として祀ったものとも思われています。
【大クスノキ】
拝殿の左(北側)に高くそびえたつ大樟(くすのき)があります。
樹齢は1000年を越えると言わています。
昭和8年(1933年)2月28日に
国の天然記念物に指定されました。
本田静六林学博士の諸書「大日本老樹名木誌」によりますと、
全国で2番目の大楠とされ、
樹高25m、周囲20mの樹齢千年以上の大木とのことです。
高くそびえたつ姿はあふれる生命そのもので、
どっしりと幹を構える様は、まるで神様のような力強く、
護り続けているような手のようでもあり、
正に「霊木」と呼ぶに相応しい風格となっています。
境内には、昭和初期の内閣総理大臣「若槻礼次郎」が、
この大楠を褒め称えた碑もあります。
【周囲、歩けます】
大楠の周りは、一周ぐるりと歩くことができるそうです。
見る角度によって違った木の表情が見られます。
【疱瘡神】
正面から見ると巨樹の根元に祠があります。
この祠は「疱瘡(ほうそう)神」を祀ったもので、
その昔、疱瘡が流行した時、
恐れて神を祀ったとのことです。
昔から「天から神霊が巨木を伝って降りてくる」
と信じられているそうです。
枝は支えられ、木の幹に苔が生え、
空洞になったところもありますが、
未だ樹勢は衰えず知らずです。
<大クスノキに感謝を込めて>
巨木の前に立った時、
それは「感謝」の気持ちで溢れました。
長い時をこの地で見守り続けてくれたことに感謝。
この巨木に出会えたことに感謝するとともに
また未来に対しても、見守り、
今の若い世代の人達が未来永劫、
幸せにこの大地で
暮らしていけるようにお願いしました。
機会があればぜひ訪れてみてください。
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【所在地】
〒414-0033 静岡県伊東市馬場町1丁目16−40
【駐車場】
境内にスペース有り。
伊東市内のコインパーキングに駐車して
散策してきました。
【くすみ荘】
伊豆国久須美荘(久須見荘、葛見荘とも)、
付近一帯が久須美荘でしたが、
のちに伊東荘・宇佐美荘・大見荘・河津荘などが出来て
それらも含めた一帯でした。
伊東氏、宇佐美氏、大見氏、河津氏と
みーんな一族なんですね。
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