【朝日山城跡】
朝日山城(あさひやまじょう)は、
静岡県藤枝市仮宿字堤ノ坪1に所在する、
岡部氏の居城とされる中世の山城です。
市の指定文化財(史跡)です。
現在は河津桜が有名です。
新東名藤枝岡部IC入口そばの処にあります。
【別名】
岡部城、駿河朝日山城
【城郭構造】
山城
【天守構造】
なし
【築城主】
岡部氏
【築城年】
不明(13世紀以降か)
【主な改修者】
不明(岡部氏か)
【主な城主】
岡部氏、浅井山城守
【廃城年】
16世紀末(天正年間)か
【遺構】
竪堀、曲輪、土塁
【指定文化財】
藤枝市指定史跡
【朝日山城について】
駿州西部にある
藤枝市(旧岡部町域を含む)・焼津市などが広がる
志太平野の北西部に立地している
標高204メートルの独立丘「潮山」北端の支峰「牛伏山」
(朝日山、標高約110メートル)山上にあります。
江戸時代に編纂された地誌「駿河記」には
岡部氏の城と記されているとのことです。
【城の構造や地理地形】
尾根筋に複数の曲輪が連なる連郭式山城です。
現在、「朝日稲荷神社」が鎮座する牛伏山頂上には
一ノ曲輪から三ノ曲輪の平坦面や土塁が残っています。
神社から東方に向かう尾根筋上には
「南曲輪」と呼ばれる平坦地があり、
東に志太平野を一望できる展望台となっています。
また、この尾根筋の北側斜面には、
「竪堀」とされる大規模な谷地形があり、
神社および城跡への登山口となっています。
なおこの谷地形については、
尾根頂部を分断していないため、
竪堀ではなく自然地形とする見解もあります。
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【城の歴史と岡部氏】
藤原南家工藤氏の末裔である入江氏の入江清綱が、
平安時代末期に岡辺権守として
京から駿河国岡部郷(現・藤枝市仮宿)に下向し、
そのまま土着して、
子の泰綱の代に岡部氏を名乗ったのが始まりとされています。
岡部氏は潮山の北東山麓に居館を構えたとされ、
朝日山城も岡部氏の居城と考えられています。
構造や地形から抗争期に一時的に使用された
臨時性の高い城との見解もあります。
発掘調査が行われていないため、
詳しい築城年代はわかっていません。
ただし鎌倉時代とする説があります。
廃城年代もわかってはいませんが、
「藩翰譜」によりますと、
天正16年(1588年)4月に
岡部氏が主君徳川家と共に
関東に移封されていることから、
この頃と考えられているとのことです。
【潮城跡】
朝日山城の南東(潮山東麓)には、
支城とされる「潮城」があったとされています。
国道1号藤枝バイパス建設時に発掘調査が行われ、
建物礎石や柱穴が確認されています。
また陶器も出土したとのことです。
年代は中世~近世と推定されているそうです。
本曲輪では大規模な造成が行われていたことも
確認されたそうです。
現在では、城の大部分は
国道1号線広幡ICとなりました。
二の曲輪・三の曲輪の一部は
果樹園として利用されているそうです。
【館は別の場所】
朝日山城も潮城も
日常的な生活の場ではなかったとされています。
「駿河記」によりますと、
万福寺と仲松寺(現在は中正寺)の間に
岡部氏の館があったと推定しているそうです。
地元ではその周辺を
「御屋敷田んぼ」と呼んでいるとの事です。
【交通アクセス】
東名高速道路 焼津ICの北西
新東名高速道路 藤枝岡部ICの南東
蓮華寺池公園から車で15分
藤枝駅⇒
中部国道線からバスで20分(法の橋下車)
法の橋バス停から徒歩で20分
【駐車場】
あり
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