織田家

斯波義統(しば-よしむね)とは 尾張守護となるも清洲織田家に裏切られる

斯波義統



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斯波義統(しば-よしむね)は、斯波氏(武衛家)14代当主であり戦国時代の尾張守護で、1513年に生まれました。
父は尾張守護・斯波義達で、母は家女房(多々良氏の娘)とされます。
弟に斯波義景、斯波統雅がいます。

尾張は戦国時代に入ると斯波氏の力は衰え、尾張守護代の織田家が勢力を強めつつありました。
しかし、駿河の今川氏親が、斯波氏が守護となっていた遠江を攻略するなどし、父・斯波義達は支持を失い1515年に引退となっています。
戦国大名化に失敗した斯波氏の家督は、僅か3歳くらいの斯波義統が継ぐことになり、織田氏は勢力を拡大して行きます。




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成長すると、清洲城主・織田広信(織田信友・織田彦五郎)に擁立されて、正式に尾張守護になったと考えられます。
斯波義統の正室は石橋氏の娘で、子に斯波義銀、毛利秀頼、津川義冬、蜂屋謙入がいます。

1554年、清洲城主・織田信友が、織田信長を暗殺しようと計画すると、斯波義統は織田信長にその計画を教えたとされます。
そのため、清洲織田家の坂井大膳、織田三位、河尻左馬助、川原兵助らが、斯波義統の尾張守護邸を急襲しました。
斯波氏の家臣である森政武、森掃部助、丹羽祐稙、善阿弥などが奮戦するもむなしく、斯波義統は弟・斯波統雅や従叔父・斯波義虎(斯波義雄の子)らと、自刃したとされます。享年42。

子の斯波義銀は、ちょうど川狩りをして留守だったこともあり、難を逃れて那古野城の織田信長を頼って逃れています。

斯波義銀(しば-よしかね)とは 父が殺害され織田信長を頼る
織田彦五郎(織田信友)とは 家臣らに実権を握られていた尾張守護代
織田信長と言う人物に迫る
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那古野城 名古屋城の二之丸に石碑あり
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