【松江城】
松江城(まつえじょう)は、
現在の島根県松江市殿町に
築かれた江戸時代の日本の城です。
別名は千鳥城。
現存天守は国宝です。
城跡は国の史跡に指定されています。
【別名】
千鳥城
【城郭形態】
輪郭連郭複合式平山城
【天守構造】
複合式望楼型 4重5階地下1階
(木造 1607年築 現存)
【築城主】
堀尾忠氏
【築城年】
慶長16年(1611年)
【主な改修者】
京極忠高
【主な城主】
堀尾氏、京極氏、松平氏
【廃城年】
明治4年(1871年)
【遺構】
現存天守、石垣、堀
【指定文化財】
国宝(天守)
【国の史跡】
再建造物 櫓、門、橋
【城の説明】
小瀬甫庵の縄張りによる平山城です。
江戸時代には松江藩の政庁として、
出雲地方の政治経済の中心でした。
山陰地方で唯一の現存天守であり、
国宝指定された5城のうちの一つです。
ちなみに他は
犬山城、
松本城、
彦根城、
姫路城。
標高29メートルの亀田山に建つ天守からは
宍道湖を眺望することができます。
明治時代初頭に廃城令によって
松江城は陸軍省所管となり
城内の建物は全て解体され売却される予定でした。
地元の有志によって天守閣だけは買い戻されて
解体を免れました。
近年、二の丸の櫓が
復元されるなど往年の姿を取り戻しつつあります。
昭和初期に城山部分は公園として開放されました。
現在は指定管理者制度に則り、
特定非営利活動法人
松江ツーリズム研究会が運営をしています。
日本さくら名所100選や
都市景観100選に選ばれるなど
島根県の主要な観光名所となっています。
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【城の歴史】
鎌倉時代から戦国時代にかけて、
この地に末次城(末次の土居)が置かれていました。
【築城】
<慶長5年(1600年)>
関ヶ原の戦いで戦功のあった
堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、
隠岐・出雲24万石を得て
月山富田城に入城し、松江藩が成立しました。
けれども月山富田城は中世山城であり
近世城下町形成には不利であったので、
運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ
太田川の近くにある末次城跡を城地の候補としました。
<慶長12年(1607年)>
末次城のあった亀田山に築城を開始します。
<慶長16年(1611年)>
正月には松江城は落成していました。
<寛永10年(1633年)>
堀尾忠晴が亡くなりました。
嗣子なく堀尾氏は3代で改易となりました。
<寛永11年(1634年)>
京極忠高が若狭国小浜藩
(若狭・越前国敦賀郡)より
出雲・隠岐両国26万石で入封しました。
三の丸を造営し、ここに松江城の全容が完成しました。
<寛永14年(1637年)>
京極忠高が嗣子なく他界しました。
京極家宗家は一時廃絶ちなりました。
後に他国で再興されます。
(播磨国龍野藩⇒讃岐国丸亀藩)
<寛永15年(1638年)>
信濃国松本藩より松平直政が
出雲18万6千石で入封。
以後、明治維新まで続きました。
【近現代】
<明治4年(1871年)>
廃藩置県により、廃城となる。
<明治8年(1873年)>
廃城令が公布され、
天守を除く建造物は4円から5円
(当時の価格)で払い下げられ、
全て撤去されました。
天守も180円で
売却されることになりましたが、
出雲郡の豪農の勝部本右衛門や
元藩士の高木権八が
同額の金を国に納める形で買い戻され、
保存されることになりました。
<明治22年(1889年)>
当時の島根県知事、籠手田安定によって
「松江城天守閣景観維持会」が組織される。
<昭和2年(1927年)>
所有者の松平家が天守を含む城地を松江市に寄付し、
公園として開放されました。
<昭和9年(1934年)>
国により史跡に指定されました。
<昭和10年(1935年)>
天守が当時の国宝保存法に基づく国宝
(旧国宝。現行法の重要文化財に相当)
に指定されました。
<昭和25年(1950年)>
文化財保護法の施行に伴い、
天守は重要文化財に指定されました。
<昭和25年(1950年)⇒
昭和30年(1955年)>)
天守の解体修理が行われました。
費用は当時約5300万円にのぼります。
<昭和35年(1960年)>
本丸一ノ門と南多聞の一部を復元。
<1992年(平成4年)>
都市景観100選に選ばれました。
<1994年(平成6年)>
三の丸と二の丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)と
二の丸下段の北惣門橋(旧眼鏡橋)を復元。
<2000年(平成12年)>
二の丸南櫓と塀(40m)を復元。
<2001年(平成13年)>
二の丸に中櫓・太鼓櫓と塀(87m)を復元。
<2006年(平成18年)4月6日>
日本100名城(64番)に選定されました。
<2007年(平成19年)4月⇒
2011年(平成23年)12月>
「松江開府400年祭」が行われました。
<2015年(平成27年)7月8日>
天守が国宝に指定されました。
国内の城跡で天守が国宝に
指定されるのは63年ぶりのことで5件目です。
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【城の地形と構造】
松江市街の北部に位置し、
南を流れる京橋川を外堀とする
輪郭連郭複合式平山城です。
宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、
日本三大湖城の一つでもあります。
なお、城の周りを囲む堀川は
宍道湖とつながっており、
薄い塩水(汽水域)です。
構造は、本丸を中心に据え、
北に北の丸、南に二の丸上段、
東に二の丸下段、
二の丸上段のさらに南には
出城のように独立した
三の丸が配されています。
城の中心となる御殿は
二の丸上段に置かれていましたが、
敷地が狭いため三の丸にも御殿が建てられ
藩主は主にこちらで生活していたようです。
大手門は石垣のみが残りますが、
巨大な枡形を形成しており、
江戸城や大阪城に匹敵する規模です。
現在、北の丸には神社、
三の丸には島根県庁が建っています。
【天守】
天守は外観4重、内部5階、地下1階で、
天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属しています。
形式上は望楼型天守に分類、
二重の櫓の上に二重(3階建て)
の望楼を載せています。
二重目と四重目は東西棟の入母屋造で、
二重目の南北面に入母屋破風の出窓をつけています。
附櫓も入母屋造です。
壁面は初重・二重目は黒塗の下見板張り、
三・四重目と附櫓は上部を漆喰塗、
その下は黒塗下見板張りとしています。
南北の出窓部分の壁は漆喰塗です。
屋根はすべて本瓦葺きです。
構造的には、
2つの階にまたがる通し柱を多用しています。
建物の中央部には地階と1階、2階と3階、
4階と5階をそれぞれつなぐ通し柱があり、
側柱など外側部分には1階と2階、
3階と4階をつなぐ通し柱があります。
1.2階平面は東西12間に南北10間あり、
高さは、本丸地上より約30m
(天守台上よりは22.4m)あります。
窓は突上窓と火灯窓あり、
2階に1階屋根を貫く形で
開口した石落しが8箇所あることが特徴です。
地下の井戸は城郭建築では
唯一の現存例であります。
最上階は内部に取り込まれた廻縁高欄があり、
雨戸を取り付けています。
鯱は、木製の銅板張で
現存天守の中では最大の高さ約2m程です。
なお、現在の鯱は昭和の修理の際に
作り直されたもので、
旧鯱は別途保管展示されています。
また、石垣は「牛蒡積み」といわれる
崩壊しない城石垣特有の技術が使われています。
【現代と築城当時の相違点】
「正保城絵図」では、
現在の天守と違い二重目、
三重目に千鳥破風が存在する等、
多くの相違点が確認されました。
松江城の国宝指定にともない、
平成28年(2016年)4月に
行われた調査において、
現存天守に残る柱から
破風の痕跡が発見されました。
「正保城絵図」に描かれた
二重目(内部2階)、
三重目(内部3階)の千鳥破風部分、
四重目(内部4階)の唐破風部分に
貫跡が確認され、
正保城絵図に描かれた
松江城天守閣が
築城当時の実際の姿を示すものと
確認されたのでした。
【江戸時代中期の大改修】
松江城は築城より100年以上経過した
江戸時代中期の元文3年(1738年)から
寛保3年(1743年)にかけて大改修が行われました。
改修前には千鳥破風や唐破風、
漆喰壁があったとみられていますが、
この大改修の際に天守も改装されて、
現在の松江城天守の姿になったと推測されています。
【江戸時代政策の天守雛型】
作成年月が不明とされていた
松江市指定文化財「松江城天守閣雛形」は、
この大改修を行うために作られた
模型であると考えられています。
江戸時代制作の天守雛型が残るのは
宇和島城、大洲城、小田原城、
延岡城、松江城の5城(合計8つ)があり、
国宝5城の内では唯一の天守雛型であるそうです。
松江城の本丸は有事の際にだけ
使用される「詰の丸」であり、
天守は倉庫として使われていたそうです。
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【松江の城下町】
【丘陵地帯】
亀田山は北の奥谷方面から続く
丘陵の南端にあたり、
現在は松江北高校のある赤山との間には
宇賀山と呼ばれる丘陵があったそうです。
本丸北側の内堀開削は
宇賀山を開削する大工事となり、
大量に出た土砂は
城下の整備に利用されたそうです。
【城下町の割り当て】
松江城のある大橋川以北の島根郡側では、
殿町、母衣町、田町、内中原町。
外中原町などが武家屋敷地、
京橋川以南の末次が町人地に割り当てられました。
大橋川以南の意宇郡側では、
白潟が町人地と寺町に割り当てられ、
松平氏時代になると
天神川以南の津田街道(山陰道)沿いに
足軽町(雑賀町)が建設されました。
【塩見縄手】
旧武家町でした。
北堀川周辺の、
松江藩家老の塩見家の屋敷があった地区です。
松江市伝統美観指定地区になっているほか、
日本の道100選に選ばれています。
武家屋敷、明々庵、小泉八雲記念館、
小泉八雲旧居、田部美術館などがあります。
【人柱伝説】
【1.少女】
天守台の石垣を築くことができず、
何度も崩れ落ちたそうです。
この松江城も人柱がなければ
工事は完成しないと、
工夫らの間から意見が出たそうです。
そこで、盆踊りを開催し、
その中で最も美しく、
最も踊りの上手な少女が
人柱にされたということです。
娘は踊りの最中にさらわれ、
事情もわからず生きたまま人柱にされたそうです。
石垣は見事にでき上がり、
城も無事落成しましたが、
城主の父子が急死し改易となりました。
人々は娘の無念の祟りであると恐れたため、
天守は荒れて放置されたのでした。
その後、松平氏の入城まで
天守からはすすり泣きが聞こえたという
伝説が残っています。
また、城が揺れるとの言い伝えで
城下では盆踊りをしなかったということです。
(小泉八雲「人柱にされた娘」などより)。
【2a.虚無僧】
天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため
困っていたところ、
堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れて、
崩落部分を掘らせたところ
槍の刺さった髑髏が出てきました。
そこで虚無僧が祈祷しましたが、
まだ危険な箇所があるというと
虚無僧は「祈祷では無理だ。」
というのでした。
ではどうすればいいのか尋ねると、
「私の息子を仕官させてくるのであれば、
私が人柱になろう。」と言ったそうです。
そして虚無僧に人柱になってもらい
工事を再開させることができましたが、
堀尾家は普請の途中に
2代忠晴で絶え改易となった、ということです。
【2b.虚無僧】
これには別に、虚無僧の尺八が聞こえてきたので
捕まえて人柱にしたところ、
尺八の音が聞こえるようになった、
という言い伝えもあるそうです。
【堀の自然環境】
堀は、汽水域であるためハゼやメダカ、
時にはアカエイも入り込む環境となっているそうです。
また2016年からは、
ミシシッピアカミミガメなどの
外来種の駆除も行われているとのことです。
【城跡内にある施設】
◆興雲閣
◆松江神社
◆松江護国神社
◆城山稲荷神社
【指定文化財】
【国宝】
松江城天守
附:祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、
鎮物3点(祈祷札1、槍1、玉石1)
【交通アクセス】
【電車】
JR西日本「松江」駅及び
一畑電車「松江しんじ湖温泉」駅
松江駅2~3・6番のりば⇒
一畑バス・市バスで約10分
松江しんじ湖温泉駅1~3番のりば⇒
一畑バス・市バスで約5分
【観光】
<堀川めぐり>
遊覧船で堀を周回しながら観光し、
3箇所から乗船が可能です。
2つのコースがあり、
3.7kmを約50分間で遊覧します。
<観光ガイド>
松江城を中心に周辺を回る5コースがあります。
<レンタサイクル>
【キャンペーン】
<雲伯三城 御将印 スタンプラリー>
<うんぱく三城 スタンプラリー>
【天守入場時間】(有料)
<4月1日〜9月30日>
午前8時30分~午後6時30分
(受付終了 午後6時)
<10月1日〜3月31日>
午前8時30分~午後5時
(受付終了 午後4時30分)
【本丸開放時間】(入場無料)
<4月1日〜9月30日>
午前7時~午後7時30分
<10月1日〜3月31日>
午前8時30分~午後5時
【天守入場料】2020年12月現在
大人:680円(団体:540円)
小人(小・中学生):290円(230円)
外国の方(大人) / Foreigner(adult):470円
外国の方(小人) / Foreigner(child):200円
本丸券売所では交通系ICカード、
QuickPay、楽天Edy、
WAON、nanacoなどが利用できます。
【3館共通券】2020年12月現在
◆松江城
◆小泉八雲記念館
◆武家屋敷
大人:1100円
小人(小・中学生):510円
※3館共通券を提示すると、つぎの観光施設の割引ができます。
※3館共通券の有効期限は購入日を含め3日間です。
<割引対象施設>
松江歴史館・堀川遊覧船・月照寺・普門院・
八重垣神社宝物殿・明々庵・田部美術館・宍道湖遊覧船
松江堀川・地ビール館(お土産・飲食1割引)、
袖師窯絵付け体験、小泉八雲旧居
【2館共通券】
◆松江城
◆松江歴史館(基本展示のみ)
大人:950円
小人(小・中学生):430円
<松江城周辺駐車場>
◆ 大手前駐車場(TEL 0852-22-2242)
◆ 城山西駐車場(TEL 0852-24-3566)
◆ その他の駐車場案内
松江観光協会のサイトです⇓⇓
駐車場ガイドマップ
【所在地】
〒690-0887 島根県松江市殿町1−5
月山富田城~出雲国守護の城、170年間尼子氏6代の本拠地で別名は天空の城、日本五大山城です。
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