【有馬城】
小田原北条氏の家臣で御馬廻衆である
窪田又五郎の築城と伝わっております。
年代は定かではありませんが、
窪田又五郎に関する記述があり、
天文3年(1534年)2月22日に鶴岡八幡宮造営につき
伊豆番匠奉行の一人に命じられたとのことです。
従って、其の頃の築城となるかもしれません。
【交通アクセス】
◆東急田園都市線「鷺沼」駅から徒歩20分程度。
◆「鷺沼」駅から東急バスに乗車し「神明社前」にて下車。
徒歩5分程度。
【付近の目印】
◆「ライフ 有馬五丁目店」
◆有馬神明神社
◆せど園(梨園)
◆川崎北高校
【所在地】
〒216-0003 神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目12
【形態】
平山城
【遺構】
なし
【標高(比高)】
63m(30m)
【駐車場】
なし
【トイレ】
無し
<場所>
【窪田又五郎】
小田原北条氏の家臣で御馬廻衆で玉縄衆に属していました。
武蔵小机有馬に十貫六百十八文を領していたとの事です。
扇谷上杉家との戦いや里見氏の攻撃で焼失した
鶴岡八幡宮の再建指揮のために北条氏綱が
小田原城と玉縄城を往復して政務をみた時期がありました。
其の頃に伊豆番匠奉行の一人に命じられた可能性があります。
【玉縄衆】
鎌倉市玉縄にあった玉縄城の家臣団です。
玉縄城は、永正10年(1513年)、
北条早雲(伊勢盛時)により築かれたとされていますが、
それ以前から砦か
小城があった可能性も考えられてるそうです。
城の外堀が柏尾川と直結し、
相模湾まで舟を繰り出すことが可能であったことから
玉縄城主は北条水軍を率いて
軍事行動を起こすこともあったそうです。
そうしたこともあり、
北条氏時代には、
一門の重要人物が城主として置かれていました。
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【有馬神明神社】
有馬城山にほど近い場所にあります。
普段は静かですが、
大晦日からお正月、例大祭の頃には
多くの人々でにぎわうそうです。
またこの神社のお神輿が大きいことが有名との事です。
創建は不詳ですが、現存する記述文などから
文政6年(1823年)以前との事です。
付近の神明社や杉山神社と明治に入って合祀されたとのことです。
従って、有馬城山とはあまり関係がないかもしれません。
ですが、合祀された「杉山神社」は、
特定地域のみに分布している不思議な神社でもあるそうです。
杉山神社は、
多摩川鶴見川の他に帷子川および大岡川水系、
多摩川の右岸(川崎市・稲城市)に存在していますが、
多摩川を超えた領域には存在していません。
歴史は古く、
平安時代の貞観11年(869年)に編纂された
「続日本後紀」では
「枌山神社」と記述される古社です。
承和5年 (838年)2月に官幣を賜り、
また承和15年(848年)5月には
従五位下を授かった旨が記されているとのことです。
けれどもその本社は比定されておらず、
未だ多くの論社が存在しています。
なお、横浜市にある4社が最有力とされており、
その中には古墳が存在している地域もあります。
北条氏綱~小田原北条2代目~北条氏を名乗り、小田原北条氏の礎を築き、先進的な領国経営をした当主。
小机城跡~長尾景春の乱と豊島氏の滅亡、小田原北条氏の時代へ~戦国時代の神奈川県を見つめてきた城
河崎氏館について~渋谷氏の祖でありやがて近江源氏の佐々木氏を援助し間宮氏に続く
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